週刊金曜日 編集後記

1346号

▼表紙写真は2017年4月10日に行なわれたアクションだが、このとき大学生たちが「おじさんだけの議会はいらない」「女性議員がもっと必要」「おじさんだけで法律つくるな」「共謀罪より刑法改正」「家父長制は絶対反対」などとコールし、参加者は盛り上がった。大学4年だった溝井萌子さんによるスピーチに感動したことも鮮明に覚えている。当時の記事では一部しか使えなかったので、後半部分を紹介したい。
「71年前の今日、ここ日本で女性たちが投票権を手にし、初めて選挙に行きました。投票権を手に入れるまでには長い闘いの歴史がありました。多くの女性が自らの手で、自らの自由のために、権利のために、尊厳のために、何より自分たちの娘のために、未来のために闘ってきました。そして今があります。私はそのバトンを受け継いで、次の世代によりよい社会を手渡したい。フェミニズムには希望があります。そこには未来へのまなざしがあるからです......」
 女性差別撤廃もパリテ(男女同数)議会も実現は簡単ではないが、あきらめない。たとえわずかでもバトンを軽くし、道を拓いて、次世代に渡したい。(宮本有紀)

▼筆者は「結婚」、特に「法律婚」は差別制度だと考える。「婚外子」の存在が何よりの例だ。当事者には何の罪も責任もないことで差別の対象になってきた。制度としての結婚が戸籍制度と結びつき、彼ら彼女らを傷つけてきたのだ。
 9月10日号の表紙タイトル「すべての人に『婚姻の自由』を」にも、「同性婚を認めよ」との主張にも、私には違和感がある。編集部内でもそう発言してきた。本来、当事者の合意のみに基づいて生活をともにする「婚姻」を、国家に届け出るのは、国家が婚姻に様々な権利を、特権を付与するからだ。社会に蔓延る同調圧力を使い、家父長制や天皇制、家督相続制、国家による人口統制策が、結婚しない・できない人々、子どもを産まない・産めないカップルを法的にも社会的にも差別してきた。
 子育て・福祉も含めて人間の基本的権利は、婚姻を前提・条件にすべきではない。国家や他人に認められなくても、例えば同性同士で暮らし始めたら婚姻内カップルと同じ権利が保障されるべきだ。結婚が「自立した個人の自由な私的契約」にすぎない社会は、「すべての人に『非婚の自由』を認める」社会でもある。(本田雅和)

▼中学生の頃にチマ・チョゴリの制服を着て歩いていたら、露骨に避けられたことがある。大人になってアパートがなかなか見つからないという入居差別も受けた。でも、こんなことは周りの在日が普通に体験していることで、あまり深刻に考えたことはなかった。生来が鈍感な質もあるかもしれないが。そんな私でも、近年のヘイトスピーチやネットの書き込みにはゾッとする。在特会(在日特権を許さない市民の会)のヘイトデモを動画で見た際には、身体の震えが止まらなかった。銀行などで名前を呼ばれると、周りに朝鮮人を嫌悪する人がいないかと、身構えてしまうこともある。
 そんな時、ジャーナリストの青木理さんと安田浩一さんの対談集『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』(講談社+α新書)を一気に読んで、溜飲が下がった。ヘイトスピーチ、ネットに蔓延するデマや誹謗中傷、その根底にどのような病理が潜んでいるのかを解き明かしていく。青木さんは、メディアに関わる者たちは差別者を前に傍観者であってはならないと語る。それは、「最終的には僕らのためでもある」と。(文聖姫)