週刊金曜日 編集後記

1267号

▼1月31日、安倍政権は、黒川弘務・東京高検検事長の定年を延長させることを閣議決定した。
「政府関係者によると、検察トップの検事総長に黒川氏を充てるためとみられ、『異例の手続き』」と『朝日新聞』(2月1日付)は報じた。黒川氏とは、口利き賄賂疑惑の甘利明氏や、森友文書改竄の佐川宣寿氏を不起訴にした"黒幕の一人"と噂される人物だ。「桜を見る会」問題で公選法違反や、「背任罪」の疑いがかかる安倍首相にとっては非常に都合がいいだろう。
 どうやら彼の「私は立法府の長」発言は本心だったようだ。政権に忖度する者を要職に登用し、三権分立を形骸化させる。そして独裁体制を盤石なものとする。
 内田樹氏は本誌1月10日号で、「検察というのは権力の走狗」と表現し、「統治機構は腐り、司法は機能不全に陥った。もう『法の下での平等』という原則が日本では維持されていない」と指摘した。
 自民党議員が新型肺炎に乗じて改憲のために、緊急事態条項を俎上に載せているが、安倍政権が存続していることこそ、なによりの緊急事態である。(尹史承)

▼死は、怖いことなのだろうか。もしかしたら、生まれる前や死んだ後のほうが常態なのであり、今、肉体を持って生きていること自体はイリュージョンではないか。
「シリーズ・死を忘るるなかれ」第1回目に登場していただいた横尾忠則さんの話を聞いて、今、生きていることの豊かさ、肉体にとっての死があることは恩寵かもしれないとあらためて思う。
 一方、「死は無である」と考える人もいると思う。天国も地獄も魂もなく、存在自体が無に帰するほうが、理に適うという考えもある。そのほうが楽だしスッキリする。どちらが正しいのかということではなく、一人ひとりの死生観を語ってもらい、生きていることの意義や意味を考えるシリーズにしていきたいと思う。
 週末、義母の月命日なので、久しぶりに中野の新井薬師にお参りにいった。近年に亡くなった知人や縁のあった亡き人たちにも、「明るい気持ち」で祈りを捧げた。個人的には無宗教なのだが、身近な神社や寺などに行くと、少しだけ心が穏やかになる。(本田政昭)

▼彼と最初に会ったのは昨年5月、韓国の光州とソウルで開催された日韓学生フォーラムの場だった。以来半年近く、親しくしてきた。彼の名は権大鈺君。22歳。韓国カトリック大学校3年生だ。2月4日、彼は軍に入隊した。約1年6カ月間、軍事訓練を受ける。韓国人男性なら基本的に誰もが通らなければならない道とはいえ、20代はじめの貴重な時間を2年近く奪われるのはなんだか気の毒だ。本人も「軍隊に行かなければ旅行や自己啓発、あるいはアルバイトをしてお金を稼ぐこともできるのに」と嘆いていた。
 2003年、『朝鮮新報』平壌特派員だった頃、元山から平壌まで行く道で、ヒッチハイクをしていた2人の若い女性兵士を乗せた。北朝鮮は韓国とは違って女性でも軍隊に行くのが普通だ。当時、女子高校生たちに将来何になりたいかと聞くと、ほとんどが「軍人」と答えた。本音かどうかわからなかったが、それが分断している国の現状なのかもしれない。
 彼らや彼女たちにとって、朝鮮半島の平和は自分の生活と直結した問題なのだ。(文聖姫)

▼中国人への差別的な投稿をした東京大学の特任准教授が、懲戒解雇された件。先日、日本に長年住む中国人の友人とこの話になった。友人は憤っていると思っていたのだが、友人から初めに出たのは「やっと言ってくれた」という皮肉めいた一言だった。特任准教授はツイッターに、自身が代表取締役CEOの会社で「中国人は採用しない」「中国人は面接に呼ばない。書類で落とす」と投稿していた。
 友人は日本で長く働き、日本語堪能で永住権も持つが、日本で正規社員として採用されることに非常に高い壁を感じてきたという。その理由の一端が、この明らかな差別発言により垣間見えたのだと、友人は言った。「ほかの人や企業は公でこうした発言をしないだけの違いで、実際は特定の人種であることで不採用にするケースが日本社会にはまだまだあると思う」。それを言葉にして「言ってくれた」ことで、社会問題として考える機会になってほしいと思ったという。単に、この特任准教授が差別主義者であった、ということに留まらない日本社会全体に横たわる問題として捉え直したい。(渡部睦美)