週刊金曜日 編集後記

1184号

▼朝鮮半島をめぐる動きの中からなぜ日本は取り残されてしまったのか。まず昨年春から冬にかけては、米朝戦争勃発のXデーはいつなのかと、特にワイドショーを中心に繰り返し「脅威」が煽られ続けてきた。Jアラート発動のニュース、各地で行なわれる弾道ミサイル落下の可能性を想定した避難訓練、「国難突破解散」による衆院選などはよりその「脅威」が現実に起こるかのような錯覚をさせた。
 国際政治学者の三浦瑠麗氏が今年2月にばらまいた「スリーパー・セル」という憶測も、差別や偏見を助長し、「恐怖」を再生産した。この前段として、作家の佐藤優氏が昨年頻繁に「スリーパー」が「テロ」を起こすと発言してきたことも見落とせない。こうした中で「共謀罪」も可決されたのだ(佐藤氏は「テロの脅威」を理由に、共謀罪は「やむを得ない」と小誌昨年4月28日号で発言)。「脅威」で厚塗りされ暴走しているだけのように捉えられている北朝鮮の姿を見ようとしてこなかったツケが回ってきている。(渡部睦美)

▼韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が手を握り合って板門店の軍事境界線を越えるシーンは印象的だった。だが、すでに29年前、この境界線を越えた人物がいる。林秀卿。当時20歳の女子大生だった。
 北朝鮮で開催された世界青年学生祭典に韓国の学生組織を代表して単身参加するため、東京、ベルリンなどを経て秘密裡に訪朝した林さんは、46日間滞在。朝鮮解放の日である8月15日、板門店の軍事境界線から徒歩で韓国に戻った。ただし、彼女は直後に北朝鮮を利する行為を罰する「国家保安法」違反容疑で逮捕され、服役した。当時、林さんを北朝鮮に派遣した学生組織のリーダー、任鍾皙氏も保安法違反で服役。それがいまや大統領秘書室長。今回の南北首脳会談では準備委員長を務めた。
「人が越えるのが大変なほど高くそびえているわけではなかった」。境界線を越えた金党委員長の感想だ。そう、そこには見えない"壁"があるだけだ。いくらでも越えられる。(文聖姫)

▼膝が痛い。痛すぎて歩けなくなり、車イスや松葉杖、実家から祖母が使っていた杖まで借りるというありさまだ。痛い理由はさておき、困ったのは通勤。今までは何ともなかった坂道や階段、混んだ電車(これは前から嫌い)をクリアすることが、けわしい山を越えるくらいに思えて心が折れる。
 そういえば10年以上前に韓国旅行をしたとき、同行したお年寄りが杖をつきながら電車に乗り込むと、車両中の人が席を譲ろうといっせいに立ち上がり、驚いたことがあった。さすが儒教の国、年長者への礼儀が根付いていると一同で感心したっけ。日本では、まずお目にかかれない光景である。
 韓国映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は、光州事件を取材にきたドイツ人記者とタクシー運転手の物語。実在の人物をモデルに、あのとき何が起きていたのかが描かれる。と言っても、肩が凝るような作品になっていないのがいい。この映画にも、儒教的なシーンがやはりあったなあ。(吉田亮子)

▼3月末に友人、常野雄次郎さんの訃報が飛び込んできた。しばし茫然自失、気付くと涙が出ていた。
 彼と出会ったのは10年ほど前。出会った頃、彼はネットでも現場でも活発に活動していた。秋葉原で日の丸を振り回す数百人の排外主義デモに一人で抗議して集団暴行されたこともあった。知っている限り、排外主義デモに直接抗議した最初の人だ。そんな姿に大いに勇気づけられ、職場でのパワハラを告発することができ、支援をしてもらったことを思い出す。
 本誌の姿勢に批判的だった彼が昨年6月、論争欄に投稿をしてきた。性暴力事件加害者のメディアでの扱われ方への問題提起。教育の名の下に、子どもたちを死に至らしめた加害者や、性的暴行事件の加害者を、その政治的利用価値故に免罪する、メディアや運動の欺瞞を衝いた投書だった。読み返すと、課題に応えられていないこと、彼の意見を聞くことも、新しい文章を読むことも、もはやかなわないことに思い至って彼を喪ったことを実感する。(原田成人)