週刊金曜日 編集後記

1589号

▼北海道新聞ユジノサハリンスク支局の記者がスパイ容疑で逮捕された(今号6頁)。身柄を拘束した連邦保安局(FSB)の職員が着ていたジャンパーには組織名の頭文字がキリル文字で書かれていた。悪名高いKGBの後継機関で、主な任務は防諜や治安維持だ。日本では、さしずめ「公安」、人気ドラマで言えば「別班」といった名称を服に縫い込むに等しい。外交上の交渉に利用される可能性もあるが、国内向けのプロパガンダの意味合いも強いだろう。でなければ、当局が一部始終を映像に撮って撒くことはしないだろうし、あんなジャンパーは着ないだろう。

 記者はロシア極東からウクライナへの動員兵と志願兵の数について情報収集していたとされるが、通常の取材活動と考えられる。経済的な理由から兵士の構成が地方の貧困層、少数民族に偏るという傾向はウクライナ侵攻でも見られ、戦争の惨さを示す重要な情報だ。「スパイの暗躍」「摘発」という図式で愛国心を煽るプロパガンダは洋の東西を問わない。プーチン政権に失望し、国営メディアを辞めたジャーナリストのインタビューを来月に掲載予定だ。(平畑玄洋)

▼「農相更迭」――。10月15日付の朝刊に大見出しが躍り、高市早苗首相に辞表を出した簗和生氏の沈鬱な表情を写真が大きく伝えた。

 予算カット発言や無料送迎バスの問題を巡り、衆院予算委員会で釈明に追われた簗氏を見つめる首相の表情は冷淡だった。予算の箇所付けへの影響力を誇る政治家は少なくないが、自治体名を挙げて自分を支持しなかったから削った、と公言した事例を私は知らない。

 かつて取材した田中角栄元首相の「国家老」本間幸一氏の睨みは有名だ。「少々ご努力が足りないようですね」。首長らは選挙に汗を流した。金権批判は絶えなかったものの、「裏日本」と呼ばれた雪国を豊かにという執念が列島改造の根にあった。威圧だけが漏れた今回とは、根本姿勢が違う。「私の大事な簗ちゃん」を起用した首相の任命責任は免れない。

 この四半世紀、在任中に辞任した農相は8人と閣僚で最多だ。農相が「鬼門」と呼ばれる所以である。トップが代わるたび、米価などの諸問題が置き去りになる。予算を票に換える政治と決別できるかが問われている。 (中澤雄大)

▼今年2月に米ニューヨーク州で、7月にはフランスで、いわゆる安楽死を認める法律が制定された。介護の現場で働くなかで、幾度となく「死にたい」という言葉を聞いてきた。何時間も世間話をした後にぽつり。自分らしく生きられない、これが自分だと思えるものを失った、そんな時に心からこぼれ落ちる。望まない境遇を社会から押し付けられ、生きることに苦しむ方は多い。それでも、当事者の願いがどれほど切実でも、命を終わらせる手助けを社会が制度として認めてはいけないと思う。

 生産性や自己責任で人を測る社会で、そんな法律ができたらどうなるか。「生きたい」と言えなくなり、人を死に追いやる制度になりかねない。作るべきは、人が希望を持って生き続けられる制度であり、人を絶望させる社会のあり方こそ変えるべきだ。

 津久井やまゆり園事件から10年。事件の根にあった優生思想は、その後何度も顔を出してきた。どんな理由があろうと命や尊厳を犠牲にする社会であってはならない。当事者の声を聞き、社会の側の欠落を問い続けたい。(上野和樹)