1583号
2026年09月04日
▼シリーズ「高市一強を問う」はご好評をいただいています。ただ、「政権批判は大切だが、対抗軸をどうつくるのか知りたい」「パターナル(父権的)な高市早苗政権に対抗するにはリベラルが大切だが、勢力の再生は可能なのか」などの疑問もいただいています。
そこで、今週号から新シリーズ「リベラルは消えたのか」を始めます。初回は、法政大学教授の山口二郎さんに、リベラルとはなにかを説明していただくとともに、その再生の道を探っていただきました。〈基本的な方向性を共有しつつ、幅広く協力するリベラルを何としても再構築しなければならない〉との指摘にうなずきました。
東京科学大学教授の中島岳志さんは「もう一隻の船」を造る必要性を訴えています。〈内閣を一隻の船にたとえるとすれば、その船は沈没目前である。しかし、国民はその船にしがみついている。なぜならば、乗り移るべきもう一隻の船が見当たらないからだ〉(本誌2021年8月6日・13日合併号)。
政権交代可能な「もう一隻の船」実現にはなにが必要なのか。今後、さまざまなみなさまにリベラルについて論じていただきます。ご期待ください。(伊田浩之)
▼11年前の早春、鵠沼海岸(神奈川県藤沢市)の自宅で迎えてくれた故山中恒さんの笑顔が目に浮かぶ(本誌8月21日号記事)。書庫には膨大な戦前史料や鉄兜など戦時品が並び、旺盛な執筆力の源泉を見た気がした。戦後間もない頃、貧しさの中でたくましく生きた子どもたちの姿を、美化せず見つめ抜いた作家の筆致は、リアリズム三部作の一つで映画化もされた代表作『サムライの子』(1960年)の巻頭に刻まれている。
〈もし、そこにみにくいものがあったなら、目をそらせたりせず、じっと見つめて、ほんとうにみにくいか、どうかを知ろう。そこから、美しいものを知る心が生まれる〉。大人の都合による隠蔽や差別を突き放す姿勢こそ、山中リアリズムの真骨頂だった。
戦争の傷だけでなく、貧しさゆえにスラムに暮らし、それだけで差別された子どもたちの姿を見つめた真摯なメッセージは、鋭く問いかけてくる。今なお、大人の手を待つ幼い命がある。あの快活な声はもう聞けないけれど、〈目をそらすな〉という訴えは、私たちの心に生き続けるだろう。
新たな編集部の一員として、その眼差しを継ぐ言葉を紡いでゆきたい。(中澤雄大)
▼2024年に亡くなった俳優のアラン・ドロンは、最愛の犬を自分の棺に入れて一緒に埋葬してほしいと希望したといいます。ただ、動物愛護団体や遺族の間から反対・抗議の声が上がり、愛犬は殺処分、安楽死を免れました。
家に犬猫を迎えるとき、その動物がこれから先、何年生きるか、そのとき自分はどうなっているかを考えます。犬猫は病気もしますから金銭的な負担も気になります。たとえば私が死んだ後、残される動物のことを思うと、安易に家族とするのはためらわれるのです。
2012年12月にわが家の一員となったロクが亡くなりました。多摩川河川敷に遺棄された犬猫らを支援している写真家の小西修さんを介して迎え入れた猫でした。8月になり、体調を崩し、病院で点滴をした翌朝、静かに息を引き取りました。帰宅して玄関ドアを開けると、ロクはちょこんと座って出迎えてくれました。柱を爪で傷つけた痕や、昼寝していたテレビ台などを見ると、彼がまだいるような気がします。その姿が見られなくなった寂しさをかみしめる日々はこれからも続きそうです。「言葉の広場」10月のテーマは「私の動物物語」です。(秋山晴康)
