週刊金曜日 編集後記

1584号

▼ウーマンラッシュアワー・村本大輔さんと本誌編集委員の想田和弘さんの対談は、岡山県瀬戸内市にある港町、牛窓で行なわれました。コロナ禍に想田さんがニューヨークから移住した牛窓は、想田監督作品にもたびたび登場し、本誌連載「猫様」の舞台でもあります。牛窓の海は瀬戸内海の中でも特に波が穏やかで、まさに鏡のようなのですが、対談場所となった想田さんの仕事場から見えるこの日の海も、とても穏やかで、ときおりボラが跳ねていました。

 対談は大いに盛り上がりました。特に村本さんが返す言葉のチョイスが、意外だけれど印象的で的を射ており、しかも面白いので誌面で少しでも楽しさを共有できていればと思います。

 対談中で語られた、村本さんの、どんな主張の人であっても「目の前の人に笑ってもらうか」を大切にしているというライブ。私も夜にはちゃっかり「目の前の人」になり、しっかり笑いました。

 村本さんは出身である水産高校のネタの振りで、ライブ会場のペンダントライト(21頁の写真)を見ると、イカ釣り漁船のライト(集魚灯)を思い出すと話していました。そうすると客席の人たちはさながら、村本さんに釣り上げられたイカってところでしょうか。(志水邦江)

▼10年前の初秋、彫刻家・詩人の高村光太郎の妻、智恵子ゆかりの地を訪ねた。故郷・福島の安達太良山で彼女が焦がれた〈ほんとの空〉を仰ぎ、別の年には青森・秋田県境の十和田湖畔で、光太郎が刻んだ乙女像2体と向き合った。

 光太郎の詩集『智恵子抄』は、心を病んで命を落とす智恵子への鎮魂とされる。岩下志麻さんが彼女を演じた映画(1967年)は今も胸を刺す。画家の夢を捨て、夫の創作に献身した果ての心の破綻。「芸術」という美名の下に隠れた性差別が追い詰めたのだろう。

「智恵子が自身の夢を追っていたら、あんなふうにはならなかった」。先日話を伺った映像作家・出光真子さんの見解だ(本誌9月4日号)。自身もかつて批評の名を借りた差別的言辞に苦しめられたという。米国人画家と別れ、再婚した修平さんの佇まいが清々しい。「僕はそっちのほうはわからないから」と、真子さんの創作に干渉しない。旺盛に自己表現を続けた真子さんの自由な翼は、この「良い意味で無関心な」伴侶に支えられていたと感じる。

「献身」の果てに犠牲者を出すのはもう終わりにしよう。もし智恵子が自身の夢を追えていたなら、光太郎の詩も違った形になっていたはずだ。(中澤雄大)

▼今夏公開された映画『トロフィー』(孫明雅監督)を観た。主人公は朝鮮学校に通う女子中学生。父親は朝鮮学校の校長だ。ある時、主人公は、韓国のボーイズグループ・BTS(防弾少年団)のコンサートチケットほしさに、父親が大切にしていた「あるモノ」をフリーマーケットで売ってしまう。そこから家族の間に小さな軋轢が生じる。「あるモノ」とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から父親がもらった勲章だった。

 私も小学校から高校まで朝鮮学校に通ったことは、この欄でも何度か書いた。私が通っていた頃は全盛期だったので生徒数も多かった。だが、今は朝鮮学校の数自体が少なくなっており、生徒数も激減している。映画のなかでも、生徒数が少ないからと、子どもを朝鮮学校に入れることをためらう親が登場したり、運営が苦しく設備が老朽化してもなかなか修繕できなかったりするシーンが登場する。

 朝鮮学校が舞台の映画といえば、『パッチギ!』が思い浮かぶが、あんな派手さはない。日本人と朝鮮人の対立が描かれるわけでもない。主人公とその家族、友人たちの日常が淡々と描かれるだけだ。だが、その中で、在日や朝鮮学校が置かれた現状がさりげなく伝わってくる。(文聖姫)