1586号
2026年10月02日
▼9月13日の沖縄県知事選で「辺野古容認」の知事が誕生した。高市早苗首相は「経済成長を求める県民の意思」と評したが、要は辺野古の是非ではなくカネが問われたということか。法をねじ曲げた「代執行」と振興予算を人質にした兵糧攻め。選挙翌日には予算を3000億円超に積み増す調整に入ったという。異を唱えれば削り、従えば施す、このおぞましさ。
絶望のなかで『沖縄意見広告運動 16年の歩み』(鹿砦社)を手にした。2010年から延べ十数万人の市民が資金を出し合い、実名で「新基地断念」「海兵隊撤退」を新聞紙面に刻み続けた連帯の記録。運動は昨年の特別広告と同書刊行で「第1次運動」に区切りをつけた。だが彼ら彼女らが16年抗ってきた「構造的沖縄差別」と沖縄を再び戦場にしかねない国家の暴力は、選挙を機に牙をむく。権力は「決着がついた」とのたまうだろう。しかし同書に記録されたしなやかでしたたかな「魂の抵抗」は消えない。「県民の民意と心まで埋め立てることはできない」(24年広告文)。区切りを迎えた今、バトンは私たち市民に託されている。絶望の淵から本誌は何度でも抗う言葉を撃ち込む。(町田明穂)
▼前号に登場した岩屋毅前外相の地元で昔、選挙演説を取材したことがある。外交・安保中心の内容で、他候補のような利益誘導に触れず、浪人中の身で大丈夫かと思った。後に防衛相・外相になったのを考えれば、あながち間違いではなかった。その彼が先の衆院選で590万回もSNSで「媚中派」と叩かれたのは尋常ではない。
そんな岩屋氏が9月末、日本国際貿易促進協会会長として訪中した。ハト派重鎮の故河野洋平前会長の衣鉢を継ぐ形だ。1995年の衆院外務委員会で、ある若手議員が先の大戦を「反省していない」と発言し、外相だった河野氏が「見解を異にする」とたしなめた。その相手こそ高市早苗首相である。
戦後最悪の日中関係のもと、岩屋氏は再びSNSの標的となろう。だが72年9月末、国論が割れる中で田中角栄首相は日中共同声明を調印。右翼から「国賊」と脅迫されたと朝賀昭元秘書から聴いた。78年10月に鄧小平副首相は日中間の「井戸を掘った」刑事被告人の元首相を訪ねている。
ポリティシャンは次の選挙を考え、ステーツマンは次の世代を考える。批判に屈せぬ者だけが、歴史に名を刻む。(中澤雄大)
▼本誌9月11日号の「言葉の広場」で、エレベーターに閉じ込められた恐怖体験を綴った読者の方からのご投稿を掲載しました。実は、私も同様の経験があります。それは1988年秋に行ったフィンランドの首都ヘルシンキの老舗ホテルでの出来事でした。アコーディオン式のドアが付いたエレベーターで1階に降りようとしたら6階あたりで停止してしまったのです。同行していた現地通訳が、ホテル関係者にすぐに連絡を取り、約30分後には復旧しました。ただ、「いつ落下するか」と生きた心地がしなかったためか、何時間も閉じ込められた気分でした。
フィンランドでは、初めて食べたトナカイのステーキと燻製肉が美味しかったこと、湖畔のサウナから湖に裸で飛び込んだこと、サウナのあとのディナーのウオッカで心地よく酔ったことなど、できればもう一度体験したいことばかりですが、エレベーターのトラブルだけは避けたいものです。
ちょうど竹下登政権下の臨時国会で3%の消費税など税制改革関連法案が議論されていた頃でした。調べてみたら当時のフィンランドは売上税の標準税率が16%だったとか。「言葉の広場」11月のテーマは「消費税」です。(秋山晴康)
