週刊金曜日 編集後記

1560号

▼「情報の収集に努めている」「不可避な付随的被害」「核開発は許されない」――。米・イスラエルによるイラン攻撃を受け、永田町から聞こえてくるのは言葉ではない、血の通わない記号ばかりだ。イラン南部ミナーブの女子小学校で何の罪もない多くの子どもたちの命が奪われた。惨劇に弔意すら示さず「評価を避ける」高市早苗総理の言葉は空虚に響く。

 そしてメディアに目をやると「解放を待っていた」という一部の声を強調し、軍事行動を正当化する報道が散見される。しかし独裁を憎む市民であっても、自国の未来を担う子どもたちを殺した暴挙には憤りを抱かないわけがない。イランの暫定政権はこの悲劇を宣伝に利用し、求心力回復を画策するだろう。一方、アメリカは「解放」を掲げる。解放か? 弾圧か? そんな単純な二極化で事実を掬いとることなどできるわけがない。

 翻ってこの国を見れば、高市一強の独裁が進む。 世界は混沌を極め、権力が命を蔑ろにし、メディアがそれを追認する。こうしたなか本誌は命ある言葉を放ち続けるつもりだ。(町田明穂)

▼調査報道記者の日野行介氏に福島県の中間貯蔵施設をめぐって居住実態がないにもかかわらず、「住民票を置いたままでいい」と地権者に安心感を与えて国が用地取得を進めていた実態を報告していただきました。

 住民基本台帳は今住んでいる自治体での住民登録が前提の制度です。国に売却し別の土地で暮らす元地権者は形式的には「違法」な状態に置かれてしまうわけです。日野氏がこの問題点を総務省の担当にぶつけると、しどろもどろ。2週間後に再度尋ねると11年前の国会答弁を示し、適法性を強調したそうです。違法となる行為を総務大臣でもない審議官の答弁で適法とする理屈にも驚きますが、何よりすぐに説明できなかったことに「いずれ反故にされるな」と直感しました。問題が表面化するのは今から20年も後のことですから空手形のようなものです。住民はまた国に騙されるのでしょうか。

『週刊金曜日』には最初は読者として、次に執筆者としてかかわり、これからは編集者として誌面づくりに参加させていただくことになりました。(臺宏士)

▼山本周五郎の『婦道小説集』(実業之日本社)にある短編「蕗問答」。草丈が2メートルにもなる秋田の大蕗にまつわる話ですが、その中で主人公が『本多平八郎忠勝聞書』を引用し、徳川家康の教えとして「座談の折などには真らしき嘘は申すもよし、嘘らしく聞ゆる真は申すべからず」といって、主君を諫める場面があります。実は、この家康の言葉がずっと引っかかっていて、「ほんとうに、それでいいのか」と、いまだに自問自答しています。2月の衆議院議員総選挙は、自民党が予想外の316議席を占めるなど、まさに「嘘らしく聞ゆる真」。周五郎先生によると、先の珍事は「申すべからず」となるのでしょうか。

 菅原道真を祭神とする神社では、「鷽替え」という神事があります。鷽はスズメ目アトリ科の鳥。嘘に通じることから、厄災や凶事などを嘘とし、「吉」に変じることを祈念するものです。この「鷽替え」、毎年1月に行なわれますが、もちろん来年まで待っていられません。『週刊金曜日』としては、すぐにでもやらなければ。「言葉の広場」4月のテーマは、「『嘘』考」です。(秋山晴康)