1527号
2025年07月04日
▼自民党の森山裕幹事長は6月29日の奈良県での講演で、参院選の公約とした物価高対策の現金給付について、一律支給の2万円は、1年間の食費にかかる消費税負担額相当であると発言した。
軽減税率8%の計算で、年間の食費は25万円想定になる。1日換算で685円。1食だと228円。これは東京都の小学生低学年の給食1食分以下の額である。
"売るほど米がある"自民党議員ならまだしも、キロ千円で米を購入しなければならない私たちにとっては、到底納得できるものではない。戦後まもない1950年の米価高騰時に、池田勇人蔵相(当時)は「貧乏人は麦を食え」発言(所得の少ない方は麦、所得の多い方は米を食う(中略)ほうへ持っていきたい)で、多くの反発を招いたが、今回の自公政権の給付策はまさにそれと同様である。
また森山氏は、「代替財源を示さずに、消費税を下げる議論だけをするのはポピュリズム(大衆迎合主義)の政治だ」と野党を批判したが、選挙前にバラマキで市民の歓心を買おうとしていることこそ、ポピュリズム政治の最たるものだろう。(尹史承)
▼久しぶりの食事会の席、出席者はオーバー60の面々。「そういえば、連絡をLINEグループでしたかったのにグループ作りが間に合わなかった」という話になり、PCの設定には十分強いメンバーもスマホはからきしということが判明。PCとスマホの間には大きな隔たりがあるという結論に。
さらに、連絡はいまだに電話だけという旧友の話があがり、なんでもできそう、むしろどんどんやりそうなのにと意外なギャップに、また盛り上がった。機械に強いという雑な括りではできるできないは測れないもの。やりたいことがあるかないかの方が大きく影響するのだと思い知った。
先日最寄り駅でデジタル伝言板というディスプレイを見かけ、携帯電話のない時代の待ち合わせを懐かしく思いだした。あの頃は固定電話+駅の伝言板を使っていたなぁ。友人の自宅への電話はいつも緊張しまくり。携帯と固定との間は、ある意味PCとスマホより距離があった気もする。
そして、待ち合わせの方法は変わっても、顔をあわせて話すのがやっぱり一番と思った夜でした。
(志水邦江)
▼以前、携わっていた雑誌で、「私の終戦記念日」特集を組んだことがあります。中国残留孤児だったKさんは、夜になるとソ連(当時)兵が来て、「逃げた女性がピストルで撃たれて亡くなった」と話してくれました。身重だった母親は産後の肥立ちが悪く母子ともに死去。3日後に、大火傷を負った妹が「おかあちゃん、おかあちゃん」と泣きながら息を引き取ったという話に胸が詰まりました。
輸送船が魚雷で撃沈され、丸太にかじりついて一命をとりとめたMさんは、護衛艦に助けられ南鳥島に連れて行かれました。そこでは、亡くなった兵隊をおんぶして海岸に出て、ジャングルの枯れ木などで焼く「おんぶ焼き」が行なわれていたそうです。「毎日のように戦友が死んでいきました」と涙ながらに語ってくれました。
Kさんからは中国東北部の琿春に移り住んだころ、父母と撮った写真を、Mさんからは鎌倉・鶴岡八幡宮で戦友と撮った写真をお借りしました。「言葉の広場」8月のテーマは「敗戦80年」です。ご投稿だけでなく、戦時中の写真や資料等がありましたら、簡単な説明を付けて「言葉の広場」宛てにお送りください。(秋山晴康)