週刊金曜日 編集後記

1526号

▼選挙は地方のほうがワイルドで面白い。二十数年前、関東の某市で起きた事件の取材で知り合った住民Aさんが、事件で見えた街の暗部を正そうと市長選に立候補。「ぜひまた取材してよ」と頼まれ足を運んだことがあった。

 国政で鎬を削った大物政治家らが地盤を置く政争の地。過去の市長選の投票率は毎回80%超で、大抵は2強の争い。そんな中に名乗りを上げてしまったAさんには事前に周囲から出馬取りやめ圧力が激化。先祖の墓石を倒されるわ、飼っていた愛犬に毒を盛られるわの末に立候補したが、合同演説会で許可をとって取材していたはずの私までが主催者に「誰の許可を得た!?」と背後から肩を掴まれる一幕も。フロントガラスにヒビの入った愛車で帰路に同乗した私に「あ~奴は地元で代々続くヤ××の倅だから」と事もなげに言ったAさんの横顔を今も思い出す。

 落選したが今もAさんは地元で実業家として活躍中。私にも時々「元気?」と電話をくれる。取材記録は引き出しに眠ったままだ。はたしていつの日か公表の機会があるのかどうか。(岩本太郎)

▼今年は日韓基本条約の締結から60年。国交"正常化"を祝う動きもあるが、我が尊敬すべき先輩や在日の友人らは当時、路上やキャンパスで同条約反対闘争をしていた。6月20日号では、佐藤栄作と朴正煕・軍事独裁政権の間で締結され、北の人民を切り捨てた条約を祝っていいのか、との視点から、渡辺健樹氏に執筆をお願いした。6月21日に明治大学で開かれたシンポジウムで、太田修・同志社大学教授が日韓条約では植民地支配責任が不問にされていることを厳しく突いた。

 イスラエルから侵略されているのに、米欧日の主流メディアから「世界の敵」のように描かれているイランやパレスチナの武装抵抗運動もまた「不問にされた植民地主義」の実相だ。昨年5月17日号で、在米のイラン人知識人ハミッド・ダバシ氏の視点をいち早く本誌読者に届けてくれた早尾貴紀氏に、今号でも再登場を依頼した。ダバシ氏は日本メディアが「ジャーナリズムの手本」と仰ぐ英BBCや米ニューヨーク・タイムズを「プロパガンダ機関」と断じる。権威主義もまた、植民地主義の典型的姿だ。(本田雅和)

▼本が読みたい、よし、本を買おう、と思って本屋さんに行く。膨大な本の広野を気の向くまま、へめぐります。

 ところが、なかなか「これ!」という1冊にあたらない。こんなに本があるのだから、1冊くらい「これ、いいな」と思える本があってもよさそうなのですが......ない。ないのです。こういうときは、好きな作家の本でお茶を濁してと思い、その棚に行きますが、もうあらかた読み尽くしているので、新刊でも出ていればともかく、今さら買うべき本もない。

 結局、何時間もウロウロしたあげく、何も買わないで店を出て、「あー、疲れた。ちょっと休んでいこう」なんて思い、あんみつ(これからの季節だったらかき氷か)を食べて帰る――ということを、このところ繰り返しております。なんというか、本屋さんに行くと気持ちが萎える感じ? 本に呼ばれていない感じ? それって本がありすぎるから? 値段が高いから? んー、そういうのとも違うんですよねー。こんなとき、みなさんはどうしてますか?

(渡辺妙子)