週刊金曜日 編集後記

1525号

▼「『リベラル』はなぜ嫌われるのか」は本誌の編集に携わる者として、ひとごとではないテーマだった。中村文則さんと雨宮処凛さんは意外にも初対面だったので、最初は立ち会う私も緊張した。だが、いったん話が始まると──。

 同じ年代で同じ問題に向き合ってきたという面もあるだろうが、お二人は多言を弄さずともわかりあってしまう。そして天下国家を語る前に自分の弱さを見つめる感性とそれをさらけ出す覚悟をお持ちだ。だからといって他者を置き去りにしない。誌面採録を考えて最低限の説明も欠かさない(編集者の出る幕なし!?)。

 ただ、リベラルの定義からして疑問を呈される読者の方もいらっしゃるかもしれない。正確を期そうとすれば説明も長くなる。本質的な部分で見誤らなければ、説明は最小限で、と今回考えた(編集者の仕事なし!?)。もちろん編集サイドの詰めの甘さがあるとすれば、私の責任、お許しいただくしかない。ご批判など、「言葉の広場」でお待ちしております。

 対談で思い出したのは、2022年9月27日の安倍晋三氏の"国葬"反対デモのことだ。"国葬"に反対しながらも雨宮さんはデモに距離を置かれた。その意味を改めて噛みしめる。(小林和子)

▼5月の最終週に2回、ジャーナリストの青木理さんと対談した。東京都板橋区の「高島平ドキュメンタリー映画を見る会」が開催した「映画と対談のつどい」(25日)、広島読者会の特別企画「抵抗のジャーナリスト青木理さん ヒロシマで語る」(31日)だ。対談といっても、みなさんのお目当ては青木さん。私が質問して青木さんが答えるという、いわば「公開インタビュー」の形で進行した。

 高島平では、事前に斉加尚代監督のドキュメンタリー『教育と愛国』を上映していたので、その話題から始まり、安倍晋三政権のことや大川原化工機事件のことなどについて、青木さんもざっくばらんに語ってくれた。広島では、原爆のこと、公安警察、ジャーナリズムについて、などなど話が尽きなかった。広島では目前に迫った韓国大統領選などの情勢についても話し合った。共通して話題に上げたのが温泉だ。本誌で好評連載中の「青木理の温泉という悦楽」について、『週刊金曜日』で温泉連載を始めた動機、執筆で心がけていることなどについて、率直に話してもらった。

 温泉のように、ホッとする時間を楽しんでほしいと始めた連載も早36回。月1回掲載。今号にも載ってま~す。(文聖姫)

▼6月6日号の投書欄は米不足や米価高騰についてのご意見があって、どれもその通りだなと思いながら読んだ。米は「高騰」しているのではなく「今の値段が適正」という投稿にも同意する。実際、気まぐれな天候に左右され、虫の害や病気などに気を配りながら、質がよい米を育てようとしたら、それなりの価格になるのは当然のこと。それは米に限らず、どの作物にもいえる。消費者はつい安いものを買ってしまいがちだが、なるべく農薬などを使わず安全で美味しい食べ物を届けようとしている農家の方たちの努力と苦労を忘れてはいけないと思う。

「苦労の割に儲からない」と農業をやめる人がこれ以上増えないようにしなければ。だから精魂込めてつくった作物を、仕事を続けたいと思えるような納得できる値段で販売してほしい。そして、そういう「適正価格」の食料品を、富裕層でなくても誰もが買えるように、民の所得を増やさなければならない。政府が力を注がなければいけないのはここだ。賃金はずっと低迷し、物価だけが上昇するから、米が高い野菜が高いと悲鳴をあげることになる。政府の仕事は「備蓄米放出」を「迅速」にすることではない。こういう事態に陥らないような農業政策と経済政策をとることである。(宮本有紀)