週刊金曜日 編集後記

1381号

▼立憲民主党が提出した細田博之衆院議長の不信任決議案は、6月9日の衆院本会議で、自民・公明両党などの反対多数により否決された。勝算なき決議案提出に、野党からも「パフォーマンス」「季節行事」などと揶揄されたが、本来批判されるべきは、立憲民主の政治センスではなく、自身のセクハラ疑惑の説明責任を一向に果たそうとしない立法府の長である。

 女性記者に対し「二人きりで会いたい」「添い寝したら(情報を)教えてあげる」は完全にアウトだ。

 法律を守り、公正中立な議事の運営が、議長の務めではあるが、細田氏をめぐっては、その資質に欠ける発言や疑惑が相次いでいる。自身も法案提出に名前を連ねた1票の格差を是正するための定数「10増10減」案を無責任に批判。また「(議長でも)月100万円しかもらっていない」「議員を多少増やしたって罰は当たらない」などと議員定数増にまで言及した。

 さらには昨年の衆院選での公職選挙法違反の疑いも浮上。不信任案は否決されたが、それでこれらの疑惑が解消されたわけではない。立法府の長として早々に説明責任を果たすべきだ。(尹史承)

▼僕が生まれ育った京都の東九条は、場所によっては日本人より朝鮮人の方が多数派の街だった。少年時代に通院していた耳鼻科の待合室では「李さん、朴さん、金さん、本田さん、診察室へ」と呼ばれたりしていたから、「俺の家も朝鮮人だけど隠してるのかもな」とずーっと疑ってきた。向かいの散髪屋の新井さんも、隣のメッキ工場の吉村君も、日本名だけど朝鮮人であることは皆知っていた。

 朝鮮人が「外国人」であることを知ったのは小学校に入ってから。被差別部落も近所だったから、地域差別と朝鮮人差別の過酷さは同時に僕の身体に刻み込まれた。いや、自ら刻み込んだ。僕に選挙権があり、隣人たちに選挙権がないことは高校時代に気づいた。

 長じて『朝日新聞』の記者となり、選挙が来るたびに外国人参政権問題を取り上げようとしたが、賛同者は少なかった。同僚には民族名を名乗る在日も、隠している在日もいたが、参政権問題で「日本人社会が問われている」との認識を共有してくれる人は少なかった。週刊金曜日に来てからも企画を提案し、同僚を説得し、何度も勉強会を開いてきた。(本田雅和)

▼小社が神保町に移転して10年余り、街にはさまざまな変化があった。銀行の支店がなくなり、古い建物は壊され高層ビルに。なくなってしまった小さい書店もある。今年5月8日には、街のランドマークとも言うべき三省堂書店が建て替えのため閉店。一時閉店とはいえ新店舗には戻らない売り場もあり、同じ光景は再び見られない。8日にはたくさんの客が訪れ、名残を惜しんでいた。

 7月末には岩波ホールが閉館する。会場内の壁には、上映した映画のチラシがずらりと貼られていて、昔観た懐かしい作品を思い出す。ホール総支配人だった故・高野悦子さんにコラムを書いていただいたことも大切な思い出だ。 

 飲食店は入れ替わりが激しいが、2年前に老舗の餃子店「スヰートポーヅ」が閉店した時は驚いた。長く存在していた店は、いつまでもあるように思うが、諸行無常を思い知らされる。ランチに通ったタイ料理店「ムアン・タイ」もビル解体のためまもなく閉店。また街の景色が変わる。

 そして、秋には小社も神保町に別れを告げ移転する。納得しているが、やはり寂しい。(宮本有紀)

▼撤回したが、黒田東彦日銀総裁の「家計の値上げ許容度も高まってきている」発言は全く許容できない。食料品の値上げが続いて家計に負担になっている。とりわけ食卓に欠かせない主食といわれるパンや麺類の値上げは痛い。そうなると価格が安定している米はありがたい。そうだ、コメを食おう。

 高校の同級生が昨年から米作りを始めた。事の発端は、還暦を記念して、ゴルフや旅行以外に何かできないかと話し合っていたら、耕作放棄地を活用した米作りに至った。農家に知り合いがいたY君を中心にプロジェクトYが動き出す。だが、肥料も農薬も使わない有機米を目指したため費用がかかる。そこで、高校の同窓会事業として出資を談判するも断られ、やむなく有志が3人、5万円ずつ出し合った。それからは協力者の手伝いもあって無事収穫。できた米を東京在住の同級生に案内したら、たちまち売り切れた。「地元より東京の関心が高いのは望郷の念が強いのかも」とY君は語る。今年も田植えの時期になった。還暦過ぎた「男女7人夏物語」ならぬ「男女7人米物語」の展開にこれからも目が離せない。(原口広矢)