週刊金曜日 編集後記

1380号

▼「泊原発裁判」札幌地裁判決が出た後の対応を北海道電力に問い合わせたところ、公式サイトにコメントを出すだけだという。同社の担当者は問い合わせには答えると述べたが、驚いた。他の電力会社と対応が違いすぎるのだ。

 四国電力は、訴訟担当プロジェクトチーム副統括部長を兼ねる原子力本部副部長らが判決後に裁判所の前で「ぶら下がり」取材に応じるのが通例だ。大間原発に対する函館地裁判決(2018年3月19日)の当日、電源開発は常務と原子力業務部長、函館駐在事務所長がホテルで記者会見している。

 北海道電力に「簡単なコメントを出すだけでは道民に対する説明責任をはたしているとは思えませんが、直接的な取材の場を設けない理由をお教えください」とファクスで質問したところ、「個々の取材に対し、適切に対応させていただいております」と回答があった。もうこれは、北電の企業体質の問題と考えてよいかもしれない。

 住民側弁護士の1人は「わざわざ会見する材料が(北電に)ないのでは」と話している。北海道電力幹部は、道民への説明責任があることをしっかりと理解していただきたい。
(伊田浩之)

▼空と海の青さが全面に広がり、目をこらすと、たくさんの方々のお名前が紙面を埋め尽くしている。そこに「命どぅ宝」の力強い文字と「基地のない平和な沖縄そして日本へ」というタイトル。5月15日付『朝日新聞』『琉球新報』『沖縄タイムス』に見開き2ページ全面カラーで第13期沖縄意見広告が掲載されました。この運動についてはここ数年、折り込みチラシで読者の方にご案内をしています。5月29日に開かれた報告集会とウェブでの報告によると、賛同者総数が1万5324件、公表可が1万326件ということでした(賛同者総数は昨年よりも多かったようです)。賛同された読者の方からお問い合わせをいただいたので、結果をお知らせします。

 報告集会では田中優子本誌編集委員の講演もありました。日本と中国との歴史的な関わりについて言及があり、それを聞くと「台湾有事」に備えた防衛費増強という政府の脊髄反射的な対応が心底情けなくなります。しかし、日本経済新聞社とテレビ東京が実施した最近の世論調査によると岸田文雄内閣の支持率が「発足後最高」とのこと。この流れに押し流されない知恵と勇気と感性を本誌で共有したいと思います。
(小林和子)

▼「猫舌」とは、何度くらいが目安でしょうか。わが家の長男猫は、浴槽の上縁面に乗り、蛇口から流れ落ちるお湯をバシャバシャと飲んでいました。お湯の設定温度は、冬場などは46~47度でした。

 その長男猫コブが亡くなって1年がたちました。いまだに浴室からバシャバシャという音が聞こえてくるように感じます。

 多摩川河川敷の猫を見守り、これまで数百匹を見送った写真家の小西修さんに話したとき、「(亡くなったのが)15歳8カ月なら立派だと思います。そこまで生きられない猫も多いですから、十分にまっとうしているのではないでしょうか」と慰められました。確かに、多摩川の猫たちは過酷な環境下で長命は望めず、生後すぐに遺棄され命を落とす子猫もいます。

 小西さんは、「屋外で生きる猫は自由気ままで、見ていて癒やされるなどといった概念を、もういいかげんにこの国は変えなければいけない」とも話していました。

 さて、問題は長男猫の名前を冠した介護関連の情報交換会です。コロナ禍でしばらく開けていませんでしたが、再開を望む声を聞くと、会名を変えるべきかどうか悩んでいます。
(秋山晴康)

▼道に迷った時、古典に立ち返る。

 山口県周防大島町でミカン栽培などをする傍ら「みずのわ出版」を営む柳原一徳さんが昨年『宮本常一ふるさと選書』(年1回刊)を刊行した。郷土の民俗学者宮本常一が遺した膨大な作品の中でも、今の子どもたちに読んでほしい、美しい文章に特化した選書を作りたいという想いから、「声に出して読む宮本常一」という意図を込めた選集に仕上がっている。

 第1集は「古老の人生を聞く」を昨年の春に刊行。今年の5月、第2集「ふるさとを憶う」が刊行された。〈音韻をふんだ美しい文章に子どもの頃から触れることで、知らず知らず身につくものがある。本が人を育てる。〉と柳原さんはパンフレットに記している。確かにその通りだと思う。今更ながら子どもの頃にもっと本を読んでいたら、少しはマトモな大人になれたかも、などと愚考する。

 この本に記されたような失われた風景がもう戻ることはない。自分の子どもの頃、浜辺や干潟で遊んだ時の微かな記憶を久しぶりに思いだした。この週末、天気がよければ海まで出かけてみようかな。

 何事もなかったように今日から明日へと時は流れている。たぶん、道はある。
(本田政昭)