週刊金曜日 編集後記

1374号

▼この4月、あがた森魚さんが「赤色エレジー」 でデビューして50年になる。連合赤軍あさま山荘事件(1972年2月19日~2月28日)が起きた年だ。この事件とこの曲はある意味"時代の転換点"を象徴しているのではないか、と(後付けだが)個人的に思う。多くの若者がその時代の中で悩み、苦しみ、ある者は挫折し、ある者は裏切り、ある者はあきらめ、ある者は開き直り、ある者は継続する道を模索したのではなかろうか。
 シリーズ「死を忘るるなかれ」で、あがた森魚さんに死生観を聞いた。「継続は力なり」。50年もの間、転がる石のように最前線で歌い続けてきた人の言葉は、深く胸にしみる。本誌の読者の方々にもそれぞれの50年があると思う。やはり生きていく中で獲得できる"気づき(学び)"もあるし、できるだけ長生きしたいと思う。
 今、ウクライナで「生」を絶たれた人々の無念が心に刺さる。僕らはこの惑星で同じ時間を生きている。メメント・モリ。(本田政昭)

▼「弱者をあざけるような笑いが横行していますが、僕はネタを考えるとき、抗う術のない弱い相手に笑いの矛先を向けない、相手の尊厳をおとしめたりいたずらに人を傷つけたりしない」「偉そうにしている権力者の愚かさを笑う」(KOKOCARA2018年4月23日)。松元ヒロさんはそれを肝に銘じ、舞台に立っている。
 第94回アカデミー賞授賞式で、クリス・ロックが脱毛症に悩むウィル・スミスの妻ジェイダさんの容姿を揶揄した。米国には「コメディ・ロースト」という文化があり、著名人への罵倒や辛辣なジョークをエンターテインメント化している。攻撃対象となることは名誉なことで、怒らずに受け流すことで度量が試されるという。その最高峰の舞台がアカデミー賞授賞式だ。今回のスミス氏の暴力がアカデミー賞の品位を下げたと言われるが、身体的特徴を論い、笑いものにするコメディアン、そしてそれを許容する式典にどれほどの品位があるのだろうか。(尹史承)

▼北京に住む友人が、今、コロナで絶賛自宅隔離中。感染者が訪れた部屋の隣の部屋を訪れただけで、友人はその人と顔も合わせておらず、すれ違ってもいない。当然、面識もなく、まったく見知らぬ人。友人自身は陽性でも濃厚接触者でも何でもないのだが、「外出禁止」の通知が来たのだという。ただ隔離期間は短くて、今回は1週間程度とのこと。おそるべし、中国のコロナ追跡システム。
「世界はだんだんと開放の方向に向かっているのに......」と悔しがる友人に、「すべての物事には必ず終わりがある」と、古代中国の思想家のような返事を出す。でもそのあと、いつ終わるのかなあ、本当に終わるのかなあ、何の慰めにもならない返事だったなと思っていたら、「オンライン飲み会やろうよ」とのお誘いが。「やろう、やろう」と返事したものの、なかなか都合があわない。このまま友人の隔離期間が終わりそうです。(渡辺妙子)

▼多彩な講師を呼ぶ長崎大学の「平和講座」の評判は、以前から聞いていた。その担当教授の戸田清さんが3月で大学を定年退職され、先日、編集部をふらっと訪ねてくれた。ある漫画(!)で見知った退職時の戸田さんは"もじゃもじゃペーター"の髪型だったが、今はバッサリカットされ、マスクもしている。初対面ではないのに「初めまして」が出かかった。
 いろいろ伺ったが、読書家でいらっしゃるので次第に本の話になり、途中から必死でメモをとった。個人的にはP・シンガーの『動物の権利』の訳出以来、仰ぎ見る存在だった。シンガーの優生思想に対して戸田さんは批判的だが、当時は画期的な本だった。
 帰り際、著書を10冊いただいた。『核発電の便利神話 3・11後の平和学 パート2』(長崎文献社、2017年)。読者の方にお分けしますので5月13日までに葉書かメールで本社の金曜日編集部小林宛にご連絡を。申し込み多数の場合は抽選で。(小林和子)