週刊金曜日 編集後記

1373号

▼今週号から月1回掲載の新連載「性的指向と性自認のリアル さまざまなわたし」が始まります。筆者は「花巻の風」で健筆を振るっていただいた北山公路さんです。
 2月中旬、北山さんと打ち合わせをしました。北山さんは60代前半で、編集担当の私は50代後半。もう少し柔軟な若い世代や当事者などが担当するほうがベターかもしれないと心配する私に、北山さんは「(アフリカ系アメリカ人によって1950年代なかばから米国で展開された、差別の撤廃と法の下の平等、市民としての自由と権利を求める)公民権運動も、当事者ではない白人層に広がったことで影響力を増した。当事者ではない私たちが取り組む意味はあると思います」と力強く話しました。
 たしかに、弊誌定期購読者の多くを占める世代に近い私たちのほうが、読者の目線に立って、わかりやすい記事を執筆・編集できるかもしれません。
 連載1回目で紹介いただいた「SOGI」という表現を使う重要性もとても腑に落ちました。今回は前置き的な内容で、次回から「さまざまなわたし」が登場します。ご期待ください。(伊田浩之)

▼1994年1月1日、メキシコの先住民族解放軍サパティスタが投げかけたグローバリゼーションへの異議申し立ては、瞬く間に世界中に広がった。時代への本質的な問いだったからです。93年11月に創刊したばかりだった本誌もサパティスタに共鳴し、当時から度々、報じてきました。ここ数年、目立った動きが伝えられなかったサパティスタだけに、ロシアのウクライナ侵攻についてさまざまな立場からの情報が交錯するなかで発せられた声明は新鮮でした。
 プーチンでないのはもちろん、ゼレンスキーでもない。あくまでも民衆の側に立って、戦争NO! を訴える、力強く、かつ奥深いメッセージ。誌面の都合で、3月2日付声明の抄訳しか載せられませんでしたが、9日付声明も含めた太田昌国さんによる全訳は弊誌ホームページに載せる予定です。よろしければご高覧を。廣瀬純さんによる本号「自由と創造のためのレッスン」も併読してもらえれば、今回の「戦争」の"別の顔"が見えてくるのではないでしょうか。
 ちなみに、同僚のHさんは前職時代、サパティスタ・マルコス副指令官を現地に取材したそうだ。凄い。いや羨ましい。(山村清二)

▼いい記事を書くために取材費はケチってはならない。特に戦地や紛争地では質の高い通訳やいいドライバーの確保は必須だ。そんなことは新聞記者時代からわかっていたが、今回、フリーランスジャーナリストとしては"先輩"の尾崎孝史氏の「ウクライナ報告」の編集を担当し、盗むべき多くのノウハウを学んだ。今さらながら反省したのは、自分は大手新聞社に属していかに恵まれていたかだ。
「ひとたび紛争が勃発すれば数百万円どころか1千万円超の予算、十数人のスタッフを出すのは常識」とする欧米のテレビ局が質の高い報道を生んでいると尾崎氏。が、関連企業を含めて巨大資本と化したNHKや民放でも、フリーからすれば潤沢な資金力で現場を席巻、我々が現場で競い合うには象に挑む蟻としての工夫が必要だ。
 原発事故などの現場でも同様だ。しかし、権力によって立ち入りが規制されるような現場で「コンプライアンス(法令遵守)違反だ」とか言って、権力と一体で仲間を規制してくるのもニッポンの巨大資本の"社畜記者"だった。闘うために取材費を貯めようと思うが、つい呑んでしまう。(本田雅和)

▼私の実家に関して某不動産会社から手紙が届いた。空き家調査を行なったところ目に留まったとのこと。個人情報の出所は不安だが、文面通り「お客様の立場に立って誠実な対応をさせて頂く」と信じ「正直不動産」な対応を願って相談してみることにした。
 空き家になった実家。そして亡くなった父のこと......。『朝日新聞』で記事になった『父がひとりで死んでいた』(日経BP刊)を読んだ。同じ境遇だ。実家が九州で、ひとりっ子であること、上京して出版関係の仕事をしていること、そして書名にもあるように、ひとりで死なせてしまったこと。私も当時、警察から電話があり亡くなったことを知っても現実を受け入れられなかった。急ぎ実家に帰り、解約の手続きや整理に追われたことを今更ながら思い出す。
 本書のあとがきで、父と携帯電話でメールをやりとりしていたが、解約して消えてしまったとあった。私も父の携帯電話を解約したが、電話番号は私の電話帳に残っている。消してもいいが消せない。なぜなら電話すれば今でも話せるような気がして。4月15日は12回目の命日である。(原口広矢)