週刊金曜日 編集後記

1320号

▼福島第一原発の北西約30キロ、阿武隈山地の奥深くに川俣町山木屋の集落がある。ここでも放射線量が高いことが分かり、国の避難指示を受けて渡辺はま子さんが夫とともに福島市内に避難したのは、原発事故から3カ月後だった。しかし、生まれ育った山村をほとんど出たことがなかったはま子さんは、6月末に一時帰宅した翌朝早く、農機具用のガソリンをかぶって焼身自殺した。故郷から「離れたくない」と前夜、夫に泣いて訴えていた。58歳だった。
 東隣の飯舘村では最長老だった102歳の大久保文雄さんが、全村避難指示が出たというテレビニュースを見ながら 「早く死んでれば、原発が爆発したことを聞か ねえで済んだ。ちっと長生きしすぎたなあ」と家族につぶやき、その夜、スーパーのレジ袋を縒って繋いで紐にし、 最後の力を振り絞って首を吊って死んだ。
 福島に住んで取材してきた私は、表紙写真の「原発さえなければ」という菅野重清さんの遺言を見るたびに、「原発に殺された」一人ひとりの人生を思い、その名を胸に刻みつけている。(本田雅和)

▼読者の皆様にはそれぞれの「10年前の3月11日」の記憶があると思います。私の場合は、早朝からのバイトを終えて東京駅の電車内で震度5強の地震に遭いました。いわゆる帰宅難民です。半日歩いて帰宅したら福島第一原発が電源喪失だと知り、半日爆睡して起きたらメルトダウンで水素爆発していて「ああ、本気で反原発運動をしなかった報いとして自分も死ぬのかな」と思いながら疲労で動けず、起き上がれないまま「なんで福島第一なんだよ」と狼狽しました。20代から30代のときの親友の一人が大熊町出身だったので。もちろん、他の原発なら良かったわけでは決してないのですが。
 その後、福島県浜通りの12町村のみ避難指示区域となり、首都圏に避難指示が出なかったことに一瞬安堵したものの、すぐに「大熊や双葉の人たちはふるさとを奪われたのに、電力消費地の自分たちは助かった」現実を思い知って、手のひらや背中から気持ち悪い、機械油みたいな汗が出てきました。おそらく、その汗の感触からは一生解放されないだろうと思います。(植松青児)

▼海上自衛隊の大型輸送艦「おおすみ」が2014年1月15日の朝、定係港の呉から定期点検で玉野に向かう途中で釣船「とびうお」に衝突し転覆させた「おおすみ事件」の国家賠償請求訴訟の判決が3月23日に行なわれる。この裁判は、衝突原因を「とびうお」の直前の右転とし、「おおすみ」にお咎めなしとした、国土交通省運輸安全委員会と検察の「結論」を覆すために始まったものだ。
 事件発生から7年、マスメディアが事件をほとんど報道しなくなった後も、ジャーナリスト・大内要三氏は真相究明会の人々と裁判の進行を見守ってきた。ぜひ判決前に世論に訴えたいと『おおすみ事件 輸送艦・釣船衝突事件の真相を求めて』(本の泉社)を刊行。事件の真相に迫る克明な証言や記録が収録されている。最後に〈僭越ながら海上自衛隊の態勢に関するこれらの指摘は、心あるすべての海上自衛隊員と共有できるはずのものと信ずる。「おおすみ事件」国賠訴訟が、海の平和と安全を守るための基石のひとつとなることを望みます〉とある。(本田政昭)

▼「徘徊団」の連載があと2回を残し止まっている。緊急事態宣言の夜に、ウロウロ歩き回っていては、「何やってんだよ!」の声が聞こえてくるので、「自粛」です。再開は宣言解除後になります。
 マスクは街の景色を変えました。パンツやシャツやくつしたと同じように、身体必着になった。ある程度、感染症が収束したとしても、もうマスクは手放せないモノとして、2020年を境に人類服飾文化史に記されるだろう。
 そこで起こるのが口と鼻の「性器化」だ。他人にむやみに見せてはいけない部位となり、鼻と口(唇)はふさがれる。「鼻の穴をふくらませて」とか、「口を真一文字に結び」なんていう表現も消えていくだろう。
 学校の先生などは新学期、目だけで名前を覚えなくてはならなくなる。「顔を覚える」ではなく、「目と声で覚える」時代へと変わっていくのではないか。
 対面しても、相手が怒っているのか、悲しんでいるのか、はっきりしない。頼りになるのは「目は口ほどに物を言う」ことだけだ。知らぬ間に鼻毛が伸びてしまっていることには注意が必要となる。(土井伸一郎)