週刊金曜日 編集後記

1234号

▼先日、高麗神社(埼玉県日高市)を取材した。小誌4月12日号で、片岡伸行さんが言及した朝鮮半島由来の神社だ。716年、武蔵国高麗郡が設置され、朝鮮半島から渡来していた1799人の高句麗人がこの地に移住し、土地を開拓したとされる。片岡さんと神社を訪ねたのは、1303年前、高麗郡が設置された記念日のちょうど翌日だった。記念日には、「高麗郡建郡記念神恩感謝祭」が開かれた。
 坂口安吾に『高麗神社の祭の笛』という作品がある。友人の檀一雄と神社を訪れた安吾は、境内で偶然、翌日行なわれる秋の「例大祭」の練習を見学する。そこで聞いた笛の韻律は、かくれんぼの「もういいかアーい、まアだだよーオ」に似て、祭りの喧騒とはかけ離れた哀愁を覚えたという安吾。遠い昔に朝鮮半島から渡来し、この地に骨を埋めた人びとに思いを馳せる。安吾らしい縦横無尽の推理と想像力がめぐらされた作品だ。
 祭の笛の音こそ聞けなかったが、この日、高麗神社開祖・高麗王若光から60代目の高麗文康宮司に貴重な話を伺うことができた。小誌で報告の予定です。(山村清二)

▼憲法週間に町田市の「民権の森公園」を訪ねた。園内にある「ぼたん園」は1700株の大輪が見ごろで、見物客でにぎわっていた。しかし、その一角に立つ「自由民権の碑」のまわりはひっそり。「ぼたん園」の名が売れ、公園の正式名を知る人も少なくなってきた。
 この辺りは明治期、地租引上げや徴兵制に抗議し、国会開設と憲法制定を求める「豪農民権」運動の中心で、村々の有力者が武蔵と相模の農民をまとめて盛り上げた。その代表がこの森に屋敷があった石阪昌孝。近くに「町田市立自由民権資料館」もある。有力者の中には議員になって国政に参画する人も出た。一方で、農村は生糸の暴落やデフレ政策により不況のどん底に。破産する農家が続出した。農民たちは借金の軽減を求める「武相困民党」を結成して活動、権力による激しい弾圧が加えられる。その狭間で民権運動も勢いを失い、日本はやがて戦争へと歩む。
 公園の上にある石阪の墓のそばに絶滅危惧類のキンランがひっそり咲いていた。色鮮やかな歴史の証人たちの目には、壊憲や軍拡へ突き進む安倍政治が、当時と重なって見えているだろう。(神原由美)

▼1989年に起きた天安門事件。その1年後に開かれた追悼集会で、のちに「中国ロックの父」と称される崔健(ツイ・ジェン)の「一無所有(俺には何もない)」が歌われたという話がまことしやかに伝わっています。もはや真偽の確かめようはなく、半ば都市伝説化した言説ですが、この曲が80年代後半の中国の若者の虚無感を代表するものであったことは間違いないでしょう。
 それから30年。人気ヒップホップグループ、ハイヤー・ブラザーズ(Higher Brothers、ハイアール・ブラザーズとするメディアもあり)が、メイド・イン・チャイナ製品を揶揄する向きを揶揄するかのような「メイド・イン・チャイナ」をラップする(正確にはこの曲は2017年発表ですが)。これほど振り幅の大きい国もないんじゃないかなと思います。ファーウェイ事件が象徴するように、中国は米国にプレッシャーを与えるまでになりました。
 今号の天安門特集でご登場いただいた翰光さんの「亡命」には崔健の曲が使われていますので、興味のある方はぜひ。(渡辺妙子)

▼5月17日号で表紙になった亀石倫子氏について、裁判費用をクラウドファンディングで募る手法を試みるなど新感覚を持つ弁護士だと注目していた。しかし同氏のサイト「Save The New Age」にある高野隆、趙誠峰両弁護士との鼎談を読んでがっかり。3月に出た性犯罪無罪判決への世間の批判を批判し、特に「合意があったと誤信した場合(過失犯)も処罰するってことにまでなると、性行為に及ぶ前に合意書でも作っておかない限り罪に問われかねない」という発言は、「相手が嫌がっているとはわからなかった」と主張すれば無罪になる現状の問題点を理解していないように思われる。同意がなかったことを被害者側が証明しなくてはならない日本の旧態依然とした司法を問い直す感覚はないようだ。4件続いた無罪判決の判決要旨を熟読したが、これを問題だと思わない司法関係者が二次被害を生んできたのではないか。
 彼女がもし参院選で当選したら、被告人のために働く弁護人としてではなく全ての人のために働く議員として、刑法や司法の問題点を勉強してほしい。(宮本有紀)