週刊金曜日 編集後記

1150号

▼ベトナム・ホーチミン市の病院の一角にある、枯葉剤被害者の病室を訪れた。ベトナム戦争中、米軍は四国ほどの広大な面積にダイオキシンを撒き、それによってどのような惨劇が生じたかは多くの人が知っている。だが、「異常出産」は現在も止まず、犠牲者が増え続けている実態はあまり報じられていないようだ。その病室で受けた衝撃を表現する技量を、自分は持たない。ただ、一生忘れぬだろう乳幼児らの痛ましい姿に接し、身が震えるほどの怒りを覚えた体験は記す。これは、人間のやることではない。謝罪のそぶりも見せない米国という国家の悪どさは、これも表現を越える。以前、米国で知り合った諜報機関の女性工作員の言葉を思い出した。「知ってるかしら。この国はね、悪魔が支配しているのよ」。それはそうだろう。ダイオキシンを環境にばら撒くなどというのは、人間の所業ではない。「悪魔」だからこそできるのだ。人間の名に値しない、こんな戦争犯罪常習犯と「同盟」とやらを結んでありがたがっている連中に問いたい。「枯葉剤作戦をどう思うのか」と。(成澤宗男)

▼公開霊言シリーズを展開している幸せそうな宗教団体がある。先日、幹部と話していると加計学園をめぐる報道を見ていて「得心がいった」という。
「私たちも大学認可してほしくて働きかけてきたのに、いい反応はありません。行政というものがいかに恣意的かがわかりました」
 かねてから「同じ宗教政党なのに与党の公明党とは対応が違う」と憤激している団体だから、よけい気になってしまったのだろう。公明党の後ろにある宗教団体とて、国によってはカルトと見なしている。国の方針を立て、法律を練り、運用しているのはどこまでも生身の人間たちだ。個々に、体質や性格、志向性や経験知があり、なにより私欲がある。私欲そのものを悪だとは思わないが、記者としての経験知からすると、世の骨格を組み立てている動力は、国の方針なるものより個々の欲に根ざすところが大きい気がしている。 8年間鍛えてもらった金曜日を退職する。依然として視界不良だが、取材を続けてさえいれば見えてくるものもあるだろうと、なんとなく思っている。(野中大樹)

▼今週号から「AI時代の両生類たち」という不定期連載を始めます。いま第3次人工知能ブームと呼ばれ、近い将来には多くの職業で機械が人にとって代わると予測されています。そのような構造的な時代の変化に対峙する態度にはどのようなものがあるのでしょうか。政府や企業など他者にどうにかしろと要求する、自己だけ生き残れるように手立てをうつ、ひたすら"念仏"を唱える......。この連載では、他者を助けるために次善策をともかく考える人を紹介していく予定です。これまでも社会課題に取り組む人たちは本誌で紹介してきましたが、この連載の特徴は身近で安価になったデジタルテクノロジーなどに目配りのある人達をとりあげることにあります。一方で単にデジタルを活用する人だけでなく、それを理解しつつアナログに生きることを選択する人もとりあげていきたいと思います。人工知能的な理想の知性の追求の反面で浮き彫りになっていく人の不完全さを愛せる、理性と感性の「両生類」たちに出会えればと思います。(平井康嗣)

▼何ごとも初めてな赤ん坊時期はともかく、平均的な成長具合の幼児期を過ごした上の子の時は、もしかしたら喜びが少なかったかもしれない、贅沢な話だが。まあ色々ゆっくりな下の子のほうが、新しく出来たことに関する感動が大きいかも、と前向きになろうとしたりしている。
 入学準備期な今年、園や療育センターの案内で「支援を必要とする子ども」の就学説明会に行ったり、あらためて色々考える機会が多い。また先日、クラスメートに、
「なんでまだ小さいのに年長さんになっちゃったの?」
 と聞かれてしまい、返事に困った。いつもずけずけ物を言うオトナっぽい女子たちには慣れてきたが、今回はいつもにこにこしてる小柄な男の子。もちろん悪気はないわけで、大丈夫なのかな? とたぶん心配してくれている。でも小さいのは同じぐらいだよねえ。
 彼も2人兄弟の下の子で、入学を控えて色々言われたり考えたりしてるんだろうなあとも思う。それにしてもまた久々に凹んだ。たいしたことでないのに。(佐藤恵)