週刊金曜日 編集後記

1123号

▼安倍政権が提出を予定している「共謀罪」(テロ等組織犯罪準備罪)法案は「現代の治安維持法」だとの批判の声が高まる。何が秘密かが秘密の特定秘密保護法(2013年)、武器輸出の解禁(14年)、「憲法違反」の批判を無視して成立させた「戦争法」(安保関連法・15年)、盗聴法・刑事訴訟法改悪(16年)。そして今回の「共謀罪」とくれば、戦争遂行と反戦勢力の弾圧・封じ込めを意図していることが明らかだろう。今週号の特集「多喜二の時代」に似てきた。
 84年前の2月20日、反戦・反貧困を訴えたプロレタリア文学作家・小林多喜二は特高警察に虐殺された。彼のように、行為ではなく思想によって殺される社会を私たちが再び選択するなら、私たちは歴史から何も学ばぬ愚民ということになる。「テロ」とか「東京五輪」という詭弁に騙されてはいけない。大統領令を「憲法違反」だとして反旗を翻す"骨のある"司法長官代行や市長は、自己保身しか視野にない役人だらけのこの国にはいないだろう。野党共闘とあらゆる市民連合の結束で、この流れを止めるしかない。(片岡伸行)

▼「日本人はとにかく長いものに巻かれる。学会員も同じなんです」
 小社刊『実名告発 創価学会』の著者3人が創価学会を相手に起こした裁判を傍聴しにいくと、こんな話をする女性に出会った。
「戦争中も多くの人はそうだったんだと思うのです。ずるずると流され、ついに国が亡んだ」
 秘密保護法に集団的自衛権。公明党は共謀罪でも波に呑まれてしまうのか――。学会婦人部の女性はその日、3人を応援したい一心で地方から電車に乗って東京地裁に来ていた。
 学生の頃に読んだ夏目漱石の『三四郎』を思い出す。熊本から大学進学のために東京へと向かう列車の中で、三四郎は「髭の男」と話し込む。時は日露戦争勝利の美酒に国全体が酔いしれる頃。「これからは日本も段々発展するでしょう」とわかったような口をきく三四郎に、髭の男は言った。
「亡びるね」
 2月9日は漱石誕生から150年。いつの時代にも、国や組織を透徹したまなざしで見定めようとする人がいる。(野中大樹)

▼1960年代より、フォークを歌い続けてきた中川五郎の50年の節目のバースデイ・ライブを記録した、2枚組のCDアルバム『どうぞ裸になって下さい』を聴いて、ぶん殴られたような衝撃を受けた。正直、自分の中でフォークは過去の遺物として切り捨てていた。まるで60年代から繋がるフォークの地下水脈が浮上し、現代に再起動したかのようだ。
 3・11フクシマ原発事故を扱った「Sports For Tomorrow 東京五輪招致スピーチにもとづき」、関東大震災直後の大阪であった朝鮮人差別を題材とした「真新しい名刺」、関東大震災の5日後に千葉で起きた自警団による凄惨な事件を扱った「1923年福田村の虐殺」、ボブ・ディランの名曲を現在の視点で歌う「風に吹かれ続けている」。心がざわつく歌の数々。
〈一台のリヤカーが立ち向かう。大きな世界を変えるのは、一人の小さな動きから〉
 あらためて、歌の力を信じたい。
 3月20日に代々木公園で開かれる「さようなら原発全国集会」のライブに出演予定。(本田政昭)

▼小田原の生活保護担当職員のジャンパー問題で「産経抄」は「実態からかけ離れた正義の声だけがまかり通れば」と書いた。日本社会に蔓延する正義へのイメージを踏襲していると言えるだろう。
「中立的」や「賢く」見えるのか正義や平等を求める声は誹謗中傷を浴びせられてきた。「声高に正義を叫ぶ」「暴走する正義」「行き過ぎた平等」など、正義や平等は胡散臭い存在で主張することは恥ずかしい、と言わんばかりの言説が大流行だ。正義や平等に疑問があれば、不正義や不平等と呼べばよい。「正義の暴走」より不正義の横行を心配すべきだ。
 欧州極右やアメリカのオルタナ右翼が理想視する入管法がある日本。欧米の差別事件やトランプの大統領令に憤る人も足下の日本で起きている入管問題への関心は異常に薄い。入管職員に数人がかりで押さえつけられ死亡したガーナ人スラジュさんの国賠訴訟は、死因は持病とする高裁判決への原告の上告を最高裁が退け、昨年11月に敗訴が確定した。「この不正義の結果に強い憤りを感じ」るという弁護団声明が重い。(原田成人)