週刊金曜日 編集後記

1384号

▼参院選に向け、各団体が政党や候補者へのアンケートを実施している。全候補者を調査する朝日新聞社と東京大学谷口将紀研究室の共同調査は有名だが、NGOや市民団体による調査も興味深い。

 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウの「人権政策に関する政党アンケート」では性犯罪やLGBT差別、難民・技能実習生の扱い、核兵器禁止条約などについても聞いており、LGBT法連合会は「LGBT(SOGI)をめぐる課題」について政党に詳細な質問をしている。公務非正規女性全国ネットワーク(はむねっと)は、非正規労働者の待遇のみならず社会の労働者非正規化や女性の経済的自立などについても質問。どの団体の調査も、各党の記述回答に体質がにじみ出る。特に市民有志による「みんなの未来を選ぶためのチェックリスト」は食と農業、教育、文化芸術、ジェンダー平等、困窮者支援、税制、憲法、原発、核兵器など20項目を質問しており、参考になる。ご関心あれば検索してみてください。(宮本有紀)

▼この1カ月で1921年生まれの方をつづけて本誌で取りあげたことに気づいた。一人は「骨のうたう」で膾炙した詩人の竹内浩三さん(45年逝去)。一人は先週号の表紙を飾った画家の富山妙子さん(2021年逝去)。

 そして最後の一人が今週号の竹内景助さん(1967年逝去)。三鷹事件の犯人として死刑判決をうけ、無実を訴えながら獄死。

 激動の時代を生きた三人の方々の生き様と遺されたものに触れながら、いろいろと思うところもあった。ひとつ言えるのは、戦争がそれぞれの人生に深い影を落としていることだ。富山さんは、「わたしの人生の始まりと終わりに戦争があった」と書かれている。先週号の《始まりの風景》は、満洲の荒野を描きつつ、時空を遠く隔て今まさに行なわれている戦争を予言しているかのようでもある。

 過去は戻らないが、戦争の悪夢は繰り返す。

 時は参議院選挙の真っ只中。目先の政策から、視線をほんの少しだけ、遠くに向けたいと感じている。(小林和子)

▼先週号の富山妙子さんの特集では「同志」だった五島昌子さん宅に何度もお邪魔し、長時間インタビューを繰り返した。二人の女性の生き方と思想の底流には、「権威主義への反発」が通奏低音のように響きあっていると感じた。家父長制の究極形態である天皇制への忌避感ともいえる。

 人権活動家であろうが芸術家であろうが、天皇や皇室との関係で自らを権威づけたがる人は多い。新聞は未だに毎年春秋に叙勲褒章を発表しているし、いわゆる「左翼人士」でも勲章をもらって喜んでいたりする。富山さんはそんなスノッブを動物的勘で嗅ぎ分け、特に晩年は遭遇しないよう注意して「人生の小道」を歩んでいた。

 五島さんもまた、秘書として仕えた土井たか子さんが社会党委員長や衆院議長として皇室行事に出るのによく反対した。困った土井さんが同志社大学の恩師、憲法学者の田畑忍氏に電話で相談したらいわく「秘書は左翼小児病だ」。伝え聞いた五島さんも「光栄です」とあっぱれだった。(本田雅和)

▼5月27日号でふれた田辺鶴英師匠の宝塚歌劇デビューについて、「理屈抜きで楽しかった」と感激もひとしおで、新たなヅカファン誕生となりました。ただ当日は、30分遅れての劇場入り。要介護2の夫が「出がけに下痢になってしまって」、その介助に天手古舞いだったそうです。鶴英師匠は、実母、義母、義父、叔母の介護も行なうなど、人生の大半を介護とともに過ごしています。

 真打昇進のときに改名した「鶴瑛」を、今年3月末、元の名前に戻しました。「夢に閻魔大王が現れて、いよいよお迎えかと思ったら、『冥土の道に王なし』と言うの」。一からやり直すつもりで王偏をとることにしたそうです。

 34歳で講談を始めたのも、「夢にヒゲを生やした変なおじさんが現れた」のがきっかけ。1カ月後、新聞の田辺一鶴「講談修羅場道場開講」の記事の写真を見て「夢に出てきたおじさんだ」と縁を感じて弟子入りを志願。鶴英師匠の場合、人生の転機に不思議なことが起こるようです。(秋山晴康)