週刊金曜日 編集後記

1377号

▼沖縄復帰50年記念式典(沖縄県、政府共催)が5月15日、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターと、東京のグランドプリンスホテル新高輪で同時開催された。

 岸田文雄首相は式典で「日米同盟の抑止力を維持しながら、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります」と述べたが、辺野古新基地建設について式典後の会見で「唯一の解決策である」と断言した。式典でのあいさつは、うわべを繕った薄っぺらいものだと感じたのは私だけではないだろう。

『琉球新報』によると、「お祝いにしてほしくない、というのが県民の気持ち」と話す式典参加者がいたという。当然だ。

 ただ、〈国土面積の0・6%に過ぎない沖縄県に全国の在日米軍専用施設面積の70・3%が集中し、米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けて〉(式典での玉城デニー県知事あいさつ)いることの責任が、岸田政権を含めた歴代の自公政権を結果として選び続けている私たちヤマトの有権者にあることはあらためて確認しておきたい。夏の参院選の結果次第では、沖縄県民の苦悩は続くことになる。(伊田浩之)

▼「みどり葉」の季節なのに、やけに雨ばかり降る。朝、青空がのぞいていたはずなのに、夜には雨。気がつかず会社を出て、傘を取りに戻ってくる同僚も。

 5月12日も小雨がぱらついていた。「骨のうたう」「ぼくもいくさに征くのだけれど」などの詩を残し、23歳で戦死した竹内浩三の生誕100年プラス1年の記念日だ。映画の道を志し、漫画もものした竹内、勇ましく反戦を唱えたわけではないけれど、戦争の本質を直感的につかみ、独自の感覚で言葉を紡いだ竹内の作品は高く評価されている。今年は三重県伊勢市で5月8日に、東京で12日に生誕祭があった。本誌でも近々報告できると思う。

 東京の会には、ゆかりの方がいらして、新参者の私には驚きの連続だった。竹内の作品を愛した人たちとして、故・坂本一亀、宮沢和史らとともに故・筑紫哲也本誌編集委員の名前を親族の方が挙げていたのがうれしかった。竹内の詩に曲をつけた五十嵐正史とソウルブラザーズの演奏も。「わかれ」の〈雨の中へ、ひとりずつ消えてゆくなかま〉を聞いていると、中野重治の「雨の降る品川駅」が思い浮かんだ。中野の詩を意識していはしまいか。(小林和子)

▼安倍晋三元首相は5月9日、大分市内の会合で、日本銀行が金融機関から大量の国債を買い入れていることについて、以下のような見解を示した。「日本人は真面目だから、経済対策を実施すると、たくさん借金しているが大丈夫かと心配する」「1000兆円ある(政府の)借金のうち半分は日本銀行が買っています。日本銀行というのは政府の子会社ですから、60年の満期(返済期限)がきても返さないで何回借り換えても構わない」「心配する必要はない」。

 国会で100回以上の虚偽答弁を繰り返した人間の言葉を信用してはならない。借り換えでいいのであれば消費税は必要ない。また中央銀行の独立性を侵害し、政府が際限なく国債を発行すれば、世界的にその信用は失われる。同様に通貨も価値を落とし、急激なインフレにより経済が破綻する。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の実態は、金利や為替、株価の操作である。現状は、国債の支払利息を抑えるために超低金利政策を継続しているが、米国の利上げにより、どんどん円安が進んでいる。

 いくら安倍氏といえども、彼にとって"親会社"である米国の金利までは操作できない。(尹史承)

▼気がつけば、本やCD、衣類が増え続けていて、部屋中、モノが溢れる生活から抜け出せなくなっている。休日には片付けを試みるのだが、結局、モノが部屋の中を移動しただけで、何一つ変わらない。世間には「断捨離」とか「ミニマリスト」とか、モノから自由になるための考え方があふれているのだが、「わかっちゃいるけど、やめられない」という人も多いのではなかろうか。

 先日、『ぜんぶ、すてれば』中野善壽=著(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を本屋で見つけ、(例によってミニマリスト系の本なのかなあ、と思いながらも)タイトルが気になったので読んでみた。著者は寺田倉庫の経営改革を担った伝説の経営者とのこと。蓄えたものを守るために人生を費やすことより、現代を前向きに、楽しみながら生きるための覚悟を持つことの大切さを改めて考えさせられ、少しだけココロが軽くなった。

 コロナ禍の中、自ら命を絶つ人もいる。ウクライナでは爆撃で住居や仕事を失った人が大勢いる。それまでの生活が一瞬にして消えてしまうことを世界中が見せつけられている。それでも、生きてさえいれば、いつでもゼロから始められる。コロスナ。(本田政昭)