週刊金曜日 編集後記

1369号

▼ロシアのウクライナ侵攻を機に、日本の"戦争屋"たちが跳梁跋扈している。橋下徹元大阪市長の(テレビ番組内での)誘導で、安倍晋三元首相が「核シェアリング(核共有)」を口にし、同調した維新の会は、一時は「非核三原則の見直し」にまで言及する。

 これに対して、「被爆地・広島出身」を強調する岸田文雄首相は、国会答弁で「非核三原則を堅持」「(核共有は)認められない」とするが、一方で、「防衛装備移転三原則」の運用指針を変えて、ウクライナへ防弾チョッキなどの軍事支援を強行。「武器輸出三原則」大改悪で骨抜きにされた輸出禁止の原則がさらに後退した。「戦争参加」へのハードルが下がっている。

 こんなふうに「戦争ムード」が高まると、少しでも平和主義的な発言をすると、「平和ボケ」と反論、侮辱するのも、"戦争屋"たちの常套手段。そんなときは「平和ボケと批判するあなたは、戦争の悲惨さを、平和の大切さをどれだけ知っているのか」と問い返したい。

「戦争ムード」に煽られて、「義勇兵」に応募するひともいるという。「命はひとつ 人生は1回 だから命をすてないようにネ」──加川良さんの「教訓1」が、今、改めて耳に甦ってくる。(山村清二)

▼1歳の男の子が病院に搬送された。まもなく息を引き取った。泣き崩れる若い母親。その体を抱きしめる若い父親――。

 ウクライナからの映像。その前には6歳の女の子がやはり病院に運ばれたが、命を落とした。病院内には悲痛な叫びが響き渡った。

 他者の死を報じる仕事に就いてきた。今もまた、その仕事にある。

 その際、忘れないようにしている詩がある。黒田三郎さんが「2000人の結核患者が炎熱の都議会に座り込み、1人が死亡した」という新聞記事を読んで書いた「引き裂かれたもの」だ。一部を引用する。

一人死亡とは

それは

一人という

数のことなのかと

一人死亡とは

決して失われてはならないものが

そこでみすみす失われてしまったことを

僕は決して許すことができない

死んだひとの永遠に届かない声

永遠に引き裂かれたもの!

 自分が今、ここでできることを考え、しようと思う。(佐藤和雄)

▼SMAPが17年前にリリースした「Triangle」の歌詞が、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、反戦への思いで共感を呼び、注目が集まっているという。テレビでも流れていたせいか、聞き覚えがある。以下は歌詞のほんの一部。

「大国の英雄(ヒーロー)や 戦火の少女 それぞれ重さの同じ 尊ぶべき 生命だから 精悍な顔つきで 構えた銃は 他でもなく 僕らの心に 突きつけられてる」

「銃」はいま世界中の人々、私にも向けられ、傍観者であってはならないと言われているようにも聞こえる。中島みゆきの「空がある限り」には、こんな歌詞がある。

「アゼルバイジャンの夕暮れは 女満別の夕暮れと変わらない 歩いているうちにいつのまにか 紛れ込んで続いてゆきそうだ」

「空がある限り 私の暮らす町 なつかしさも わずらわしさも 美しさも 汚さも あなたと私の町」

 他国と武力衝突もある国、アゼルバイジャンが、何の関係もないような北海道女満別町とほぼ同緯度で日の出・日の入りが同じだという。国境があっても空はつながり、その下にはそれぞれの暮らしがある。それを互いに尊重する世界を私たちは何度でもつくる。(吉田亮子)

▼新型コロナによりマスク文化がすっかり定着しました。電車内はもちろん、街中を歩いても、社内でもマスク不着用の人は一人もいないくらいです。

 ウイルスの感染予防のため、症状がない人も含めて、いついかなるときもマスクを着用するという考え方を「ユニバーサルマスク」というそうです。

 一時期、マスク着用に加えて手洗いが大事と言われましたが、専門の医師の話によると「マスク着用は効果がありますが、手洗いは有意差がないという結果が出ています」とのこと。それでも、コロナ禍の日常での手洗いは習慣化しているため、やめるつもりはありません。

 マスクの素材については、布マスクやウレタンマスクより、不織布マスクの予防効果が高いことが示されています。ただ、マスクの質や種類にそれほどこだわる必要はなく、「マスクを外した状態、状況をつくらないことのほうが大事」という専門家の指摘には、なるほどと思いました。

 本誌「言葉の広場」の4月のテーマは「新型コロナ考」です。みなさまのご投稿をお待ちしています。(秋山晴康)