週刊金曜日 編集後記

1180号

▼私たちは長らく、奇跡のなかにある。こうして自由に書き、発表できるのは奇跡なのだ。特高や憲兵が猖獗を極めた大日本帝国は、満州だけでは飽き足らずに華北まで侵略して中国と全面戦争に入り、蒋介石政権への支援ルートを断つために仏印にまで軍事行動に及んで対米英蘭豪戦争を引き起こし、敗北して自壊した。少しでも常識が働く帝国ならば戦争を避け、1945年8月以降も悠々と生きながらえたはずで、その期間は30年代末に誕生し、1975年に終焉したスペインのフランコ体制の比ではあるまい。治安維持法に象徴される天皇制ファシズムが、自ら「民主化」する可能性などゼロに近いからだ。ならば今日の日本国憲法とは、勝ち目のない戦争を「たまたま」帝国が選択してくれたことによる奇跡の産物なのだ。だが奇跡である以上、その産物はいつでも消え去りかねない危うさを孕む。戦後一貫して、改憲を筆頭にあらゆる大日本帝国的なるものの復権策動が絶えないのはそのためだろう。奇跡に安住せず、憲法の精神を不動とするために、いま為すべきことは多い。(成澤宗男)

▼3月半ば、取材でフランスに行き、雑誌関係者としていくつか発見があった。ひとつは『週刊金曜日』の名前の由来である仏新聞『Vendredi』(バンドルディは仏語で金曜日の意味)の第1号(1935年)を入手したことだ。パリで知り合った大学院生が国立図書館まで行ってコピーをくれたのである。なんと気の利く人物だろうか。あらためて感謝です。
 もう一つは『Le Canard Enchaine』(『ル・カナール・アンシェネ』=鎖につながれた鴨の意味)という1915年創刊の新聞を知ったことだ。この存在を教えてくれた男性によると「内容は政治と財界のスキャンダル。記者の給料はどこよりも高い。買収されないため。広告も載せない。デジタル版もなし。フランスで最後に残る新聞はこれだと言われている」とか。「鴨」は新聞の俗語だそうで頭から皮肉が利いている。記事も文学的で翻訳者泣かせだと言う。グローバル化やデジタル化が世界の潮流だが、そこに媚びないことで強みを発揮する存在に海外で示唆を受けた。(平井康嗣)

▼この1年半、シリア人少年とほぼ毎日連絡を取っている。5人の兄が亡くなり、本人にも兵士勧誘が続く日々の中、両親から「あなたは生き延びなさい」と説得され、ひとり欧州に逃げてきた。
 シリアで友人が亡くなった報せがくる度、逃げた自分が後ろめたいといい、嫌なことを忘れたいと酒や薬に手を出したこともある。不法労働をしたり、「シリアに戻って戦って死ぬ」なんて叫くことも。
 そんな彼が、週末、2年前に求婚したときの話をしてくれた。その彼女が難民としてドイツへ移ってしまうと、別の少年と恋に落ち、あっけなく二人の蜜月は終わった。よくある青春の1ページ。でも、そんな幸せな記憶が彼にもあると分かって嬉しかった。彼は「僕が振られたっていうのに、何で喜んでるんだ」とふてくされていたけども。
 目下の読書本、シリア文学『酸っぱいブドウ/はりねずみ』(白水社)は、抑圧や暴力性をユーモアで描いているが、戦前の日常生活が瞼に浮かぶ。その様子に心が締め付けられる一冊です。(市川瞳)

▼息抜きにネットのネタをひとつ。お題は「昭恵氏が土俵に上がりたいと言ったら?」。そこで大喜利的な回答が繰り広げられるのだが、どれも秀逸で面白い。
「いい土俵だから上げてください」「魔法のようなことが起こり、土俵に上がる事ができる」「土俵の価値を下げるためにその下に産業廃棄物を埋める」「土俵に上がったという記述が削除されて、後に佐川が勝手にやったことになります」「昭恵氏は女性ではありませんでしたね? と丸川議員」「若手行司が刑事訴追の恐れがあるのでと言って逃げ切る」などなど。
 どれも今の政権だと本当にあり得そうな話で怖い。すべてに座布団を上げたいところだが、一押しは、「まずは証人喚問の土俵に上がりなさい」だろうか。
 閑話休題。佐川喚問後、急速に収束ムードが漂いつつある森友学園問題。この度の土俵問題は言語道断で議論の余地はないが、"民主主義"という土俵に土足で上がる安倍政権の暴挙も忘れてはなるまい。即刻退場してもらう必要がある。(尹史承)