週刊金曜日 編集後記

1047号

▼太平洋に浮かぶ細長い島国ツバルの上空写真を見ながら、この島の人びとの生き様に想像を膨らませた。最大でも数百メートルしか幅のない、か細い平地で育まれたのは分かち合いの文化だそうだ。
 たとえば学校を建設するというとき初めの1週間はある20人が作業に従事し、次週は別の20人が、次はまた別の20人が......という具合に、労働ができるかぎり公平に分配される。仕事が一部の人に集中すれば共同性の一体感が損なわれるからである(『笑顔の国、ツバルで考えたこと ほんとうの危機と幸せとは』英治出版)。
 くだんの自民党勉強会で、百田尚樹氏は「軍隊は防犯用の鍵だ。軍隊を持っていない国はたった26カ国」とした上で、そのひとつ「ツバルなんか、もう沈みそう。家でたとえればくそ貧乏長屋。取るものも何もない」と述べている。
 そんなこともない。米国や中国に比べれば土地も資源も、政権党の人材も欠いた日本だからこそ、ツバルの文化から学び取るものはたくさんあるはずだ。 (野中大樹)

▼ひと月ほど前、鹿児島県霧島市の陸上自衛隊国分駐屯地での一般曹候補生の新人訓練に密着取材したテレビ番組があった。訓練を終え、自衛隊の「服務宣誓」に署名・捺印する場面になった時、一瞬その場に「緊張感」が走ったように見えた。それでも参加した全員が署名・捺印をすませ、事にあたっての隊員としての「真剣な覚悟」をきっぱりと口にしていたが、もし戦争法案が強行採決されてしまったら、はたして同じ言葉を口にできるのだろうか。
 1954年、それまでの警察予備隊〜保安隊から自衛隊に大幅改変するにあたり、「賭命義務」のある服務宣誓を全隊員に求めたが、「軍隊」に等しい改変に異議を唱え、その服務宣誓を拒否し6300人が退職していったことがあったということを知り、そんな決断ができた隊員たちがいたことに胸が高なった。他国を守ることを入隊時に宣誓していない以上、改めて全隊員に「服務宣誓」をやり直すべきではないのか。 (柳百合子)

▼七夕は雨が降ると織姫と彦星が会えなくなるのになぜ梅雨に、と思う人もいるだろうが、本来の七夕は旧暦の行事なので8月中旬になる。その旧暦も2033年には破綻するそうだ。七夕伝説の発祥地である中国では旧暦は政府が改暦するので「2033年問題」は心配ないという。暦のあり方一つとっても両国の違いがある。暦は古代中国では史官の職掌だった。歴史への態度もまた違っている。
 中国の七夕伝説では牽牛織女が鵲のつくる鵲橋を渡って再会する。同じ橋でも盧溝橋は新暦のこの日に日本軍が引き起こした盧溝橋事件によって、侵略による日中両国の懸隔の象徴となってしまった。日本では加害の歴史は軽んじられているが、そんな日本でも歴史を直視し両者の架け橋を目指す人々もいる。
 5月1日・8日合併号で紹介した中国百科検定。今週号の定期購読にパンフレットが同封されています。理解が両国の架け橋となるよう願っています。 (原田成人)