週刊金曜日 編集後記

1288号

▼春のセンバツに続き、夏の甲子園もひらかれないことになった。戦後では初めて、79年ぶりの「開催中止」を決定した。しかしである、高野連はセンバツに出場が決まっていた32校を8月に甲子園に招いて、各校1試合だけ(6日間で16試合)の交流試合をするという。とにかく甲子園の土を踏ませてあげたいという気持ちらしい。
 テレビで観ていたら、チームの監督(大人代表?)が「いい知らせがある。甲子園に行けるぞ!」(部員は下を向いている)、「うれしくないのか?」(......)、さらに強要するように「おまえらうれしくないのか」と聞く。
 私はテレビに向かって「うれしいはずねえだろう」と叫んでしまった。「甲子園に行きたい」というのは、そこの土を踏むためでも、持って帰るためでもない。そこでひとつでも勝ち進みたいのだ。
 やらないなら1試合もするな。16試合もするなら、あと15試合して全国一を決めろよ。負けたチームは去り、感染リスクは減る。2週間の隔離はいまや全国一般。高校生をなめるなと、元高校球児は思うのである。(土井伸一郎)

▼コロナ禍で初めて映画館へ行った。備え付けの消毒液を手に塗るのは当然のこと、検温もされた。36・4度の平熱だったので、無事館内に入ることができた。席は一つずつ空けて座らねばならない。といっても、すいていたので、真ん中の席に座った。
 肝心の映画は『さらばわが愛、北朝鮮』(キム・ソヨン監督)である。朝鮮戦争最中の1952年、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から8人の若者がモスクワ国立映画大学に留学した。だが、彼らが北朝鮮に戻ることはなかった。当時の金日成首相を批判して、58年にソ連に亡命したからだ。広大なユーラシア大陸の各地に移り住み、映画監督や作家として活動した彼らのその後を追ったドキュメンタリー映画だ。映画監督のキム・ジョンフン、映画監督のチェ・グギン、そして作家となったハン・デヨンのロシア人妻の証言を通して描かれる彼らの思いとは何なのか? 「生まれた地は故郷と呼ぶが、骨を埋める地は何というのだろう」という問いが、重くのしかかる。(文聖姫)

▼新型コロナウイルス流行のせいで、宝塚歌劇にはまってしまった。もともと、娯楽の大半はテレビドラマ鑑賞だったのが、今クールは撮影が困難となり、新ドラマがほとんど見られない状況に。過去のドラマもそれなりに見ごたえはあったが、どこか心の隙間を埋めきれなかった。身近に感染者は出ていないとしても、世の中を覆っている不安にはさらされて、やはりそれは確実に心を削っていたように思う。そんな中、胸を膨らませてくれたのが、「宝塚」だった。
 宝塚は歴史が長いだけあって、沼が実に広い。一人の気になるスターから始まったものが、豊富な情報を集めだすときりがない。ケーブルテレビの専門チャンネルに契約すると、毎日20時間見るものが増えていく。一人のスターを追いかけるはずが、同じ組の下級生、上級生、そのまた上級生、そして気になる演出家と増えてゆき、どんどん深みにはまっていく。
 まさに異常事態。でも、リアルに目を移しても、そこもやはり異常事態。必然の異常事態なんだ。宝塚沼の泥パックで心に潤いを補給するしかない。(志水邦江)

▼性暴力被害を訴えた伊藤詩織氏に対して「枕営業大失敗!!」などと貶めるイラストを作成し拡散したはすみとしこ氏は、それを「風刺画」と呼ぶらしい。だが、はすみ氏らを名誉毀損で提訴した時の記者会見で、伊藤氏は「フランスの新聞で風刺画を描いている方に相談したとき、風刺画というのは権力を批判するものだと言っていたんですね」と述べた。その通りで、権力に抗う側に矛先を向けているものを「風刺」とは呼べない。
 表現の自由とは、権力に対する民衆の抵抗として勝ち取った権利で、風刺や批判が健全に行なわれることは民主主義社会に必要なことだ。ゆえに、表現の規制は最小限にしなければならない。しかし、不正や権利侵害と闘うため声をあげた人に後ろから石をぶつけるような誹謗中傷や、単にその人が気に入らないからと罵詈雑言を浴びせる行為をも「表現の自由」と嘯くことは、権力による表現の規制を招くことになるのではないか。
 今号の特集にはネットで中傷された被害者も登場する。いまの社会に必要な新しい作法とは何か、一緒に考えてほしい。(宮本有紀)