週刊金曜日 編集後記

1286号

▼新型コロナの感染拡大のなかでカミュの『ペスト』がベストセラーになったが、同じ作者の、やはりペストをモチーフにした戯曲『戒厳令』も改めて読み返し、怖ろしいほど現在に通じることに驚かされた。前者が感染拡大に立ち向かう人々の「連帯」を描くのに対して、後者は感染防止を理由に、市民の自由を奪う全体主義を描く作品。命令に従わない市民に「しるしをつけろ!」と叫ぶ場面は「自粛警察」に重なり、服従のための法律は「少しずつ曖昧さに慣れさせる」「罪悪が法律になれば、罪悪ではなくなる」といった台詞がコロナ禍の今後を予見させる。
 安倍首相は、国会閉幕直前、第2波に備えた「罰則付きの外出制限や営業停止」の法律について、「必要な場合」は「当然検討する」と答弁している。第1波の「接触8割削減」の有効性にさえ疑問が出ているのに、「自粛警察」にお墨付きを与えるような法律を絶対に許してはならない。『戒厳令』の台詞を引用すれば服従に抗う「透明な狂気」が必要だ。(山村清二)

▼本誌6月19日号でも取り上げた『女帝 小池百合子』(石井妙子著・文藝春秋刊)。ノンフィクションの傑作との評判を見聞きし、すぐにでも読みたくなり都内主要書店を捜し歩いたがいずれも品切れ状態だった。ネット書店の「アマゾン」では価格が高騰しており、電子書籍での購入を迷ったが紙の書籍を入手したかった。そして先週末にようやく手に入れ土日の2日間で読破。案の定、読み進めているうちに付箋でいっぱいになってしまった。
 著者は資料を読み重ね、現地に赴き綿密な取材で100人以上の証言を集めた力作。その執筆に3年半を費やしたという。はたして事前の予想を裏切らない内容だったが、読後のダメージは相応のものがあり身も心も消耗した。いま再度ページをめくることに躊躇している。7月5日に行なわれる都知事選の投開票。20日の全国世論調査では現職が他候補を大きくリードしているとの報道を目にし、爽やかな休日とは、ほど遠い気分になってしまった。(町田明穂)

▼東京都でライブハウスなど最後の休業要請が解除になったからというわけではないが、この間ズームで行なってきた礼拝を2カ月半ぶりに、礼拝堂で集まって行なうことになった。当面は人数制限や時間短縮などで通常通りとはまったくいかないが、久しぶりに友人たちと再会できて、うれしい。
 あと、自分でもうれしくて意外だったのが、マスクをつけたままだが、オルガンの奏楽でみんなで讃美歌を歌えたこと。ズームでいくら顔が見えても、歌うときはどうしたって一人ひとり。声を合わせることがどれほどうれしいか、思い知らされた。カラオケの営業再開が待ち遠しかったわけだ。
 コロナと今後どうつきあっていけばよいのか、模索は続くのだろうけれど、正しく怖れたいよなぁと思う。高齢だが両親ともにまあまあ元気なので、父の日もあって実家での食事会も解禁にした。4カ月ぶりにやってきた小学生の甥っ子は、カメラを持って大はしゃぎ。少しだけ背が伸びていた。(吉田亮子)

▼6月中旬になって、ようやく届いたアベノマスク。スーパーはじめ、いたるところでマスクが買えるようになり、しかもどんどん値崩れしている今日このごろ、アベノマスクのことなんて、すっかり忘れておりました。
 しかし、何はともあれマスクはマスク、しかもこれは、私が(一部)払った税金260億円を投入して行なわれた一大国家プロジェクトでございます。使わなければ税金の無駄遣いじゃありませんか。
 と思いつつ、試し装着──う、私の顔がでかいのか、ち、小さい......。だめだ。このマスクじゃ何もできん。安倍氏がしているマスクの小ささを揶揄するツイッターを見かけますが、彼は実はすごく小顔なのか、忍耐強いのか、意地っ張りなのか、鈍感なのか。
 ただ、アベノマスクのいいところは、まだ手に入りづらいダブルガーゼを使っていること。ほどいて手作りマスクに転用するか、自治会が設けた回収箱(必要としている施設に寄付するという)に入れるか、思案中です。(渡辺妙子)