週刊金曜日 編集後記

1271号

▼日本原子力研究開発機構の公式サイトにはこう記述されています。〈発ガンなどの確率的影響については、被ばく線量が多くなれば発症する確率が高くなるという傾向があります。しかしながら、100ミリシーベルト以下の低線量域では、被ばく線量と発ガン率との間に統計学的に明確な関係が認められていません。そこで、国際放射線防護委員会(ICRP)は、明確な関係が認められる長崎・広島における被ばく線量と発ガン率との関係直線を100ミリシーベルト以下の低線量域にも延長できるものと仮定して、放射線防護の基準を定めています〉(URL・https://c-navi.jaea.go.jp/ja/background/02-01/02-12.html
 100ミリシーベルト以下の影響を調べるためには数百万人以上のデータが必要という見方があります。明確にわかっていないというだけで、低線量でも被曝すると、被曝しただけ健康被害が生じると考えるのが定説です。その危険性については特集をご覧ください。
 新型コロナウイルス流行への場当たり的な"無策"でも同じですが、人々の健康と安全を守る姿勢が感じられない安倍晋三政権は、やはり倒すしかないのではないでしょうか。(伊田浩之)

▼今週号の写真企画「アイム・ウィリー」で掲載した"電車ごっこ"の写真は、静岡県浜松市のアマチュア写真家・河合浜代さんがゴールデンレトリバー(雄)のウィリーと共に過ごした1993年から2006年までの写真記録からの1枚です。子どもたちとはよく遊び、大人たちには一丁前に接し、生き物たちには優しく寄り添いながら暮らした15年の生涯でした。
 昨年9月、東京・ニコンプラザ新宿での個展でこの写真を見たとき、会場にいた河合さんに声をかけ、本誌に掲載したい旨を伝え、快諾をいただきました。少しホッとするような企画も本誌には必要ではないかと考えます。
 会場で購入した写真集『アイム・ウィリー』(河合浜代・日本写真企画)を見ながら、自分が子どもの頃に実家で飼っていた番犬のことを思い出した。名前はボス、2代目はクロ。ほとんど鎖に繋ぎっぱなしで、散歩もたまにしか連れていかなかったと思う。今にして思えば、もっときちんと世話をしてあげればよかった。「飼う」のではなく「共に暮らす」という接し方が当時はできなかった。ボスとクロ、ごめんな。もっと遊びたかっただろうな、と今になって反省しているのです。(本田政昭)

▼2月29日に行なわれた「新型コロナウイルス」感染拡大を受けての総理大臣記者会見。プロンプターに映し出される原稿を読み進める首相の言葉は、力の入った芝居のようで私の心に届かない。記者からの質問に「政治は結果責任、その責任から逃れるつもりはない」としながらも、質疑応答は予定時間を超過したということで打ち切り。質問者はまだ残っているのに。聞きたいことが聞けず、情報を得ることもできない。さて何のための記者会見なのか。
 次週3月11日を迎える。9年前は安倍氏が言うところの「あの悪夢のような民主党政権」だった。たしかにそれは拙い政権運営だったかもしれない。原発事故に対しての情報開示も十分ではなかった。しかしネット上で散見される当時の総理記者会見の一部を見る限り、記者からの質問に対し言葉に詰まりながらも誠実に答えようとする、当事者意識はうかがえる。不謹慎な「もし」であることは承知しているが、あの日、嘘とごまかしを繰り返す安倍政権がこの国を担っていたらどうなっていたことだろう。底知れぬ恐怖が先に立つ。早くこの政権を終わらせたい。今年も3月11日は命の重みに思いを馳せて黙祷を捧げます。(町田明穂)

▼2020年は、北京+25年(世界女性会議で「北京宣言・行動綱領」が採択されてから25年)であり、「202030」(社会のあらゆる分野において、20年までに指導的位置に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標)の目標年であり、刑法改正の見直し期限の当年であるなど、ジェンダー課題にとって節目の年だ。しかし19年のジェンダー・ギャップ指数で日本は153カ国中121位と過去最低。政治分野に限れば、女性議員と閣僚の少なさが響いて前年の125位から144位に後退した。とんでもなく恥ずかしい。
 だからこそ、この課題に取り組まねばならず、3月8日の国際女性デー当日はもちろん、3月にはジェンダー課題に関するさまざまなイベントが予定されていたのだが、新型コロナウイルス拡大を警戒して実行断念が相次ぐ。長く準備してきた人たちは本当に無念のことと思う。取材予定だったこちらも残念だ。だが、多くの行事が「中止」ではなく「延期」になったところに希望がある。なかなか実現しないジェンダー平等に粘り強く取り組み続けてきた人たちはそう簡単にあきらめない。次の目標に向けて進むだけだ。(宮本有紀)