書籍案内

詳細情報

[戻る]

原発の来た町──原発はこうして建てられた/伊方原発の30年

内容紹介

「安全」であれば原発はよい、とは言えない。原発の建設や運転の過程ではさまざまな「暴力」が吹き荒れ、またカネの力によって人々の心や生活を傷つけ、踏みにじってきた。
 著者の斉間満さん(2006年10月17日永眠)は、伊方原発の誘致話が表面化して以降、自らの一生をかけてこの問題に取り組んできた。新聞記者として、一人の住民として、裁判の原告として長い長い闘いだった。
 この書籍は、斉間満さんが2002年5月、南海日日新聞社から刊行した著書『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』を元に新たに編集した新版。伊方原発のためになにが起きたかを知ることは、日本のエネルギー政策の今後を考えるために必要だ。

【目次】
はじめに
まえがき(小出裕章)
【年表】伊方原発をめぐる動き

1.原発はこうして建てられた
伊方原発誘致ドラマの幕開け
新愛媛新聞、一面トップで報道
電力、町の素早い対応
記者クラブ出入り禁止に
記者は歴史の証人
反対決議を無視 漁協総会のてんまつ(その1)
海を買い取る必要
一年間に三回も総会開く
絶対反対を決議
組合長の工作
海は奪われた  漁協総会のてんまつ(その2)
怒号の中で強行採決
県が陰で糸を引いた総会
「流会」が「採決」に
役員を追い込んだAさんの存在
三回目の総会
反対漁民が退場した後で
Aさん、姿消す
四電の秘密文書入手
組合員の原発への対応分類一覧表
金と権力に翻ろうされた漁民
「反対を賛成に変更させる」
原発が来た町の最初の犠牲者
夫婦・親子の絆切り裂く
自殺の真相を訴えるビラ
不当な住民弾圧のはじまり
裁判所が警察・検察を厳しく批判
軽微な反対派事件のみ起訴
事件はこうして起きた
警察がウソの発表
H巡査はなぜ拳銃自殺したのか
警備課の三羽ガラスの一人が

2.安全協定無視の3号炉増設
八人を逮捕したのは警察か海上保安部か
核燃料搬入阻止闘争
デッチあげ逮捕劇
釈放後警察のイヤガラセ続く
使命忘れた報道機関の姿
権力機関のリークを鵜呑み
三号炉建設へ
住民を欺いた安全協定書
新しい安全協定
町誌にみる住民の反発の姿
議論のないまま決まった三号炉増設
安全より金を
金をめぐる争い、町議会と電力会社の癒着
町議会議員が四電から飲酒のもてなし受ける
「やましいところはない」?
融心会が果たした役割
金をばらまく電力会社
金権批判も馬耳東風
住民を金漬けにしなければ
魚大量死
六〇種類以上の魚介類が死亡
県調査グループ登場の背景
三号炉推進の盾としての役割
結論を出すための会合
漁民の声は馬耳東風
破綻した調査グループの結論
大学教授とは何なのか
疑問に答えず
八回にわたる大量死
漁民に届いていない対策

3.出力調整試験
反原発ステッカー事件
原発の危険を訴えていたA子さんは犯罪人なのか
A子さんの陳述で暴かれた卑劣な警察の本性
正式裁判を求めた心情
A子さんが学んだこと
針金一本切ったとして逮捕
事情聴取もなく突然踏み込む
原発入口前で抗議行動
反対運動弾圧のための逮捕
不当逮捕に地元住民主婦が抗議の声
『原子力帝国』の片鱗示す
子どもの目前で手錠! 心の傷は消えない
原発真近への米軍へリコプター墜落事故
恐怖を通り越して怒りヘ
推進派の知事も衝撃受ける
恐怖感を逆なでした四国電力の対応
全く根拠のなかった弁明
多発する米軍ヘリの不時着
攻撃目標に小学校、発電所
霧の中の飛行訓練
国会議員までが立入り禁止
神風さえも蹴ちらす

4.伊方原発のいま
金を巡って四電VS県・伊方町がバトル
県も伊方町と同じ穴のムジナ
金権が県議会でも問題に
寄付金がなければ町財政は苦しい
伊方原発沖に横たわる活断層
A級活断層発見の論文
愛媛県は報道に罪をなすりつけ
「あんぜん四国委員会」の合点ゆかぬ動き
自然の本で原発PR
崩れた安全神話
町長選挙の裏に原発利権
投票依頼で現金配る
原発利権あらそう町長選
不正転入事件
住民名簿が流出
町長選挙密約事件
差出人不明の「怪文書」
伊方町長選の歴史
使用済み燃料、六ヶ所へ
JCO事故の後で
事故がマスコミに突きつけた事態
公民館が原発の安全に疑問を表明

5.原発と地域
原発で町はどう変わったか
人手不足と原発
労賃の高騰
伊方町商工会の報告書
建設が終わったら
消える地場産業
事件・怪奇な出来事
鉄塔倒壊事件
福井県で伊方原発の下請け企業の経営者が原発労働者を殺す
原発に爆弾仕掛けた!
原発見学者も一時避難
原発労働者の自殺
八幡浜市内に奇怪な落書き
四電寮の強盗事件
海中に友人残したまま逃走

あとがき

【筆者紹介】
斉間 満(さいま みつる・1943年生)
 伊方原発建設当初、地方紙の記者として取材したのが伊方原発との関わりの始め。取材していく中で地元にあるローカル紙が原発の危険性に少しも触れないことに疑問を感じて焦りを覚える。経験も知識も資金も貧しい中ではあったが、地元で原発を批判していく必要を強く感じて一九七五年「南海日日新聞社」を立ちあげる。以来一貫して原発反対と匿名報道を貫き、伊方町を含む周辺の町や八幡浜市の人々に原発の危険性を伝え続けてきた。
 伊方原発二号炉設置許可取消裁判は、本人訴訟として起こされたが、原告の1人に加わり23年間法廷で闘った。しかし、2000年12月判決の4日前に持病の心臓病が原因で脳梗塞を発病し、左半身不随車椅子生活の身となる。現在施設に通いながらリハビリに励む傍ら、原発を止めるまで南海日日新聞を発行し続けることが自分のできる反原発運動であると考え、同じ原告、反原発の仲間であり社員の一人である近藤誠さんの助けを得ながら残された右手でワープロを打つ日々である。
 2006年10月17日永眠。

〈書籍案内〉索引別一覧ページへ