「反差別条例が泣いている」三重県が外国籍職員採用廃止を検討 田中宏一橋大学名誉教授に聞く
聞き手・まとめ/中村一成・ジャーナリスト|2026年4月7日4:45PM
高市政権下で先鋭化する排外主義が、全国初の包括的反差別条例を制定した三重県で噴出している。職員採用で緩和したはずの国籍条項を復活し、外国籍者の採用廃止を検討すると知事が言い出したのだ。問題に詳しいジャーナリスト、中村一成が田中宏・一橋大学名誉教授に聞いた。

――三重県では1999年に国籍条項を大幅に緩和し、現在は49職種中44職種で外国籍住民が応募可能です。「公権力の行使又は国家意思の形成に携わる公務員には日本国籍が必要」とする53年の法制局見解(当然の法理)の範囲内であり、管理職にはなれない。児童福祉士などは端から不可ですが、そんな制限付き撤廃に対して一見勝之知事は昨年12月25日の定例会見で、「みえ県民1万人アンケート」の結果を基に、採用廃止を検討すると発表しました。
三重は77年に公立学校教員の国籍条項を取っ払ってね、79年に第一号が誕生した。当時、私は隣の愛知県にいたけど、まだ国籍条項があった。愛知の運動も勢いづいて82年に受験可能になった。かつては背中を追う相手が三重だったんだけどね……。「スパイ防止法」を与野党で目指すような政治の流れなんでしょう。
「害国人」のにおい
――県人事課に訊くと具体化は昨秋、自民党総裁選の時期です。憲法の「職業選択の自由」に直結する話なのに県人権課は『中日新聞』の特報で初めて知ったと。人権、民族団体や県、中部の弁護士会、研究者、メディアだけでなく、県内自治体の首長が相次いで異論、反論を表明しました。議会からも批判されていて、知事は当初のイケイケの姿勢を弱めています。とはいえ全国初の包括的反差別条例「差別を解消し、人権が尊重される三重をつくる条例」を制定した三重県で、多文化共生破壊の動きが出たこと自体、深刻かつ危険です。全国の右派首長も、後に続けるか注視しているでしょう。
さすがに名指しは避けているけど知事の「理屈」は中国ですね。2017年制定の「国家情報法」で在外国民にも情報活動への協力を義務付けた。それで情報漏洩の恐れを云々するけど「参政党」レベルですよ。国籍と「間諜」は関係ないし公務員法には守秘義務がある。違反があれば処罰は可能です。
――外国人は潜在的スパイと吹聴することは「差別の煽動(ヘイトスピーチ)」です。知事は当事者が法の間で板挟みになると言って、国籍条項の復活をまるで自らの慈悲のごとく語っています。
入管法反対運動のあった1970年代に、ベトナム人留学生に言われたことを思い出します。「日本人はシャイだから、字で書く時は『外の国の人』(外国人)と書くけど、内心では『国に害になる人』(害国人)と思ってんじゃないの」って。実感なんですよね。「外国人登録法」(2012年、入管法に吸収される形で廃止)がいい例ですよ。個人情報を徹底的に集めて、指紋も採取する。刑事罰付きで常時携帯義務を課して外国人登録証明書を持たせ、官憲への提示義務まで付けた。潜在的犯罪者との認識あってのことだし、それが社会に「外国人は危険」とのイメージを振り撒いていく。
知事の言動にはこの「害国人」のにおいがする。「法の支配」「法治主義」も欠落している。例の池上努(検事。日韓国交樹立交渉時の入国管理局参事官)の「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」を思い出しましたよ。
拉致事件発覚を契機に
――後発植民地帝国の日本は敗戦後、植民地期の戸籍から国籍を軸にレイシズムを再編、制度化した。それが在日の「管理・監視、追放」と「社会参画の否定」です。朝鮮人と台湾人の参政権停止(1945年12月)と公務員からの排除は後者の代表ですね。先の「当然の法理」は本来、公権力行使と国家意思の形成以外では任用に問題ないとの「お達し」でしたが、当時の自治省は73年にこれを地方公務員にまで広げ、排除を拡大した。魔法の杖です。
それを動かす転機が日立就職差別裁判闘争ですよ。公務員就任を巡る闘いも高揚して、政令指定都市や府県での撤廃も進んだ。
「当然の法理」を根っこから覆す、外国人地方選挙権についても95年2月の最高裁判決が、憲法で禁じられてはいない、と判示した。
その後に政治でも大きな動きが出ました。2000年の地方分権一括法以降を受ける形で、同じ年の4月、地方自治法245条の2と枝番が付いたんです。法令によらなければ、地方公共団体は国や都道府県の関与(=指示、指導)を受けないという「関与の法定主義」です。法令ではない「当然の法理」はもはや無効ですよ。
――そこで登場したのが「当然の法理」ですらない知事方針でした。
結局はこの社会の地金が出たんでしょうね。外国人は税金だけ払っていればいい、その使い道には関与させない。文句があるなら出ていけ、「帰化」すれば権利は与えてもいいとね。「52年体制」(外登法と入管法を軸とする外国人管理体制)の思想ですよ。
1970年代後半以降、「52年体制」は少し揺らぐけど、日本政府が悔い改めたからじゃない。75年、ベトナム戦争終結と日本がサミット参加国になったため、79年に国際人権規約を批准した。それからベトナム難民受け入れの消極姿勢を欧米から批判されて81年には難民条約に入り、「内外人平等原則」を受け入れざるを得なくなった。
でも本質は変わってなかった。その根っこが剝き出しになったのが2002年9月の拉致事件発覚だと思う。あれ以降、何かあると一気にブワッと敵意が広がるようになった。今や選挙で「日本人ファースト」と言える状態ですよ。







