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日本で育ったクルド難民申請者、彼らの夢を誰がつぶしたのか
田中喜美子 日向史有|2021年9月9日11:58AM
帰れないことが生んだ悲劇
田中 さらにこの状況に拍車をかけたのが、東京オリンピック開催のための治安対策として外国人対策が掲げられ、2015年に仮放免の運用を厳格化する通達が法務省から全国の入管収容施設に出されたこと。この頃から仮放免許可書の裏面の「仮放免の条件」欄に「職業又は報酬を受ける活動を禁止」と明記されるようになった。
さらに、18年2月28日の通達が最悪でした。広く「収容に耐え難い傷病者」でない限り、収容を続けるべきとの通達で、仮放免許可が非常に出にくくなった。締め付けを強めれば、日本から非正規滞在者を追い出せるという入管の考えは間違っていて、帰れない人はどんなに苦しくても頑張ってしまう。それがさまざまな悲劇を生んできた。
日向 たとえば、トルコでクルド人が今もたくさん生活しているんだから迫害なんてない、だから難民じゃないという人がいますが、そもそもトルコ建国の時から公の場でクルド語は禁止されていた。学校でも、テレビ放送も出版も全部、2000年に入るまでクルド語では禁止されていた。クルドのお祭り「ネブロス」も禁じられているような迫害の中での生活でした。だから帰れないのです。
田中 大変な弾圧をされていますよね。それが誰の目にも明らかになったのは、15年に起きた東京・渋谷にあるトルコ大使館前での大乱闘事件。クルド人であるということでトルコ人に殴られ、乱闘に発展した。こうしたクルド人をはじめ、帰れない人が頑張ってしまった結果、長期収容が増え、抗議のハンガーストライキが起き、ついには長崎県大村の収容所で餓死者が出たり(19年)、名古屋の収容所で今年スリランカのウィシュマさんが亡くなる事件も起きた。法務大臣と入管庁長官は辞任すべきだし、入管法改定案の再上程を狙っているようだが、もってのほか。