週刊金曜日について

「意外と面白いぞ」、金曜日

「それって、おかしいんじゃない?」を雑誌にしました。

編集長挨拶

週刊金曜日 編集長 小林和子

「変わった雑誌ですね」と言われることがあります。 なにしろ「週刊誌」というのに本屋さんであまりお目にかかれない。見ると六十数ページしかない薄っぺらさで、広告がなくてぶっきらぼう......。

『週刊金曜日』は既存のメディアに物足りなさを感じていた人たちが20年以上前に、いっそのこと自分たちでメディアをつくってしまおうと「読みたい人、この指止まれ!」と読者を募り立ち上げた、いわば“先駆的クラウド・ファンディング”で生まれた雑誌です。ですので全国の書店で並べられている、企業広告で成り立つ大手出版社の週刊誌と、いろんなところが違っています。

『週刊金曜日』は「これってへんじゃない?」「ちょっとちがうよ!」と、自分の頭で考え、おかしなことにはおかしいと言う姿勢を大切にしています。最近特に、学校で、職場で、地域社会で、周囲と違う意見を言うと嫌がられたり、逆に他人の意見を無意識に押しつけられているように感じることがありませんか。『週刊金曜日』はそんな空気に抗してはっきりとものを言っていきます。

『週刊金曜日』は多くの人に知られていないこと、あるいは隠されていることについて、読者の代わりにその場に行って、自分の目や耳で確かめた事実を報道します。時に、重い現実が浮き彫りになり、「読んでいて暗い気持ちになる」と言われることもあります。でも事実を知らなければ解決策は見出せません。

『週刊金曜日』は、多様な社会に軸足をおいて、異なる意見や異なる文化、アートを積極的に紹介していくことによって、差別を排し、自由で闊達な言論空間を目指します。国内外の面白そうな人たちとつながって、自ら新しいムーブメントを創っていきます。

雑誌をつくっていると、ドキドキしたり、ハラハラすることの連続です。見立てや予想が次々と裏切られていくし、企画が実現しないこともある。それは経営的に見るとリスクとも言えます。しかし、そのリスクこそ、雑誌が生きている証、そう思って取り組んでいます。

もし、『週刊金曜日』の誌面をご覧になって「いいな!」「ちょっと面白いかも?」と思われたら、ぜひご購読ください。可能であれば定期購読の形で支えていただきたくお願いいたします。

発行人挨拶

週刊金曜日 発行人 北村肇

新聞やテレビが事実・真実を報じないことを憂えて、『週刊金曜日』は生まれました。30年近く全国紙に在職していた私は、もう一点マスメディアに欠けているものがあると思います。「怒り」です。平和を守り戦争への道を歩まない。あらゆる差別をなくし人権を尊重する。こんな「あたりまえ」のことがあたりまえではなくなっている時代に、なぜ怒らないのでしょうか。なぜ、統治権力者に対し怒りのつぶてを投げないのでしょうか。

新聞やテレビは客観報道を錦の御旗にします。公平・中立な報道も強調します。だから冷静な態度が必要とでも言いたいのでしょうか。でも、それらはみなまやかしであり、結果として権力にからめとられています。なぜなら、権力をもつ側は圧倒的な力を有しているのですから、報道機関が権力と市民の天秤の真ん中に立てば、必ず権力の側が優位になります。従って、ジャーナリストは常に市民の側に立たなければなりません。それで初めてバランスがとれるのです。真の客観、真の公平・中立とはそういうことなのです。

敷衍(ふえん)すれば、強者と弱者がいれば弱者の側に立つのが報道機関の責務です。

さて、この国の現状を見渡せば、弱肉強食の風潮の中で格差社会が進行し、命や人権が粗末にされ、さらには「戦争をする国」へと暴走しています。統治権力者の横暴はとても看過できません。このような時代に「怒り」をもつのは当然だし、それをバネにして取材し、そこでつかんだ事実をもとに統治権力者を指弾するのがジャーナリストの役割です。言い換えれば、「公憤」を活字にするのが使命なのです。

『週刊金曜日』は過激な雑誌といわれたりします。「あたりまえ」の怒りを表出すると、いまや過激のレッテルを貼られるのです。上等ではないですか。権力に対する憤りを報じることが過激なら、この際、本誌は徹底的に過激になります。

人生には自らを賭す瞬間があります。同じようにジャーナリズムにもその存在を賭けるときがあります。ここまで社会が歪んだいま、市民の"武器"である真実を、私たちの"武器"である言葉をもって伝え、社会を変えていく。いままさに、その覚悟が問われているのです。

『週刊金曜日』は堂々と信じる道を進みます。いつもともにたたかい、ともに歩んでいただいている読者の方々の熱い思いを胸に抱きながら----。

沿革(週刊金曜日のあゆみ)

定期購読に支えられる雑誌

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定期購読中心の3つの理由

『週刊金曜日』は、広告に依存せず定期購読者に支えられることで、「真実」を報道しています。

その1 企業タブーがありません。

一般的にテレビ、新聞、雑誌は企業などスポンサーからの広告出稿がなければ成り立ちません。そのため、大切な情報や意見でもスポンサーや権力に配慮して大手メディアが伝えないことがあります。

そこで『週刊金曜日』は定期購読料を払ってくれる読者に、主たるスポンサーになってもらい、発刊しました。そのため広告主である企業に遠慮することはなく、政官権力の圧力も『週刊金曜日』には効きません。

儲けよりも大事なことを伝えられる雑誌作りを続けています。

その2 編集方針がブレません。

定期購読料が前払いされているため、毎号の売れ行きに左右される心配がありません。そのため世間の好奇心を満たすために迎合する編集方針ではなく、少数者の視点にも立ちながら、伝えなければいけないことをじっくり考えることができる編集方針をとっています。

その3 日本中どこでも同じ値段で読めます。

書店がない地域にも毎週届けることができます。また、北海道から沖縄まで送料均一にしておりますので、全国、同じ値段でお読みいただくことができます。

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創刊の想い

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誌名の由来

反ファシズムのフランス人民戦線が刊行した『Vendredi(ヴァンドルディ=金曜日)』。 それに刺激され、治安維持法制下の京都で発刊されるも弾圧により途絶した『土曜日』。 戦後日本の民主主義を支え、34年を積み重ねたが部数の低迷により廃刊した『朝日ジャーナル』。 それらの志を継承し、さらに発展させるものとして、哲学者・久野収が『週刊金曜日』と命名。

創刊のことば

歴史学者J・E・アクトンの有名なことば「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」に象徴されますように、権力の腐敗がほとんど法則的であることを前提として、近代の国家は腐敗を構造的に防ぐ手段たる「三権分立」を創出しました。しかしこの三権はいずれも国家権力に属するために、しばしば癒着あるいは独裁化に陥りやすい現象がみられます。

この「癒着あるいは独裁化」を監視して未然に防ぐための最も有効な働きを示してきたのがジャーナリズムです。腐敗しつつある権力は、国民に「知られる」ことをまず最もおそれます。知られなければ国民の怒りも起きようがないはずなのですから。したがってジャーナリズムは、国家権力としての「三権」からは全く独立した市民のものでなければならず、そこに俗称「第四権力」たる意味も役割もあるわけです。民主主義社会にとって健全なジャーナリズムが必須条件でもあるゆえんでしょう。

しかしながら、そのような第四権力としてのジャーナリズムも、国民の間に信頼がなければ影響力はありません。一般的に週刊誌の信頼度が過去に高くなかったのは、センセーショナリズムや羊頭狗肉・エログロ・プライバシー暴露に走りすぎ、正確性や取材倫理・批判精神・報道対象などの点で真のジャーナリズムからかけ離れていたからでしょう。

ジャーナリズムが国民の信頼を失うもう一つの大きな原因に、国家権力との癒着あるいは国家権力の広報機関化があります。三権を監視する役割のはずが、三権の補完物と化しているのでは、第四権力としての存在理由もなくなってしまいます。

日本敗戦からまもなく50年。日本列島はゴルフ場などで環境破壊がすすみ、去年は日本軍(自衛隊)の海外派兵が強行され、金権政治の腐敗構造も極点に達していることが国民の前に明らかになりました。この重大な時期に、日本のジャーナリズムははたして第四権力の名に恥じぬ役割をつとめているのでしょうか。

『月刊金曜日』1993.7.23

久野 収 「発刊に寄せて」

支配政党の金権腐敗、この政党に巨額献金する経済主流が見逃す無責任なマネーゲーム、巨大化したマス文化の画一化作用、これらは相乗効果を発揮して、いまや底無しの様相を呈し、民主主義の市民と世論を呑み込む勢いである。

この三つの荒廃には、さまざまな超越的、イデオロギー的批判が下されている。しかし、あまりものをいうようにも見えない。

むしろ、いま必要なのは、前途をどうすれば明るくできるか、その勢力と方法の芽生えはどこにあるのかをはっきりさせる内在的、打開的批判であり、この批判を職業とし、生活し、思想する主権市民の立場から実物教示してみせる仕事である。

われわれは、34年を積み重ねた『朝日ジャーナル』の一貫した志の中断をはなはだ残念に感じ、ここにその志を継承し、さらに発展させる週刊誌を新しく発刊しようとする。

いかなる機構、どんな既成組織からも独立し、読者と筆者と編集者の積極的協力の道を開き、共同参加、共同編集によって、週刊誌における市民主権の実をあげるモデルの一つを作りたいと願っている。

われわれをバックアップしてくれるのは、34年に及んだ『朝日ジャーナル』だけではない。1935年、ファシズムの戦争挑発を防ぎ、新しい時代と世界をもたらすために、レ・ゼクリバン(作家・評論家)が創刊し、管理する雑誌として出され部数十万を数えた『金曜日(ヴァンドルディ)』の伝統もある。「自由な作家・評論家と自由な市民から成る読者大衆との直接交流」の熱望を生かすために、ロマン・ロラン、アンドレ・ジッド、哲学者アラン、マリタン、バンダ、物理学者ジョリオ・キュリー夫妻以下四十数名の編集者の名前を表紙にずらりと刷り込み、社説、発言、政治ニュース批判、社会時評、海外情報、芸術、科学、哲学、大衆娯楽の各欄を大きく取り、長編連載小説まで組み込んだのが、この週刊誌であった。さらに『金曜日』に刺激され、1936年、京都で発刊され、京阪神だけで一万部近くに達し、「生活への勇気、精神の明晰、隔てなき友愛」をモットーにした週刊誌『土曜日』の伝統も加わっている。

読者諸君、執筆者諸君の積極的参加を心から期待したい。

1992年10月30日

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