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安倍一強体制下での官僚の堕落(宇都宮健児)

財務省近畿財務局が森友学園に、2016年6月、小学校用地として鑑定価格9億5600万円の国有地を、ごみ撤去費用8億1900万円などを差し引いた1億3400万円で売却したことが問題となっている。

普段は財布のひもを締めるのが仕事と躍起になる財務省が何故このように破格の安値で売却したのか、ごみ撤去費用に8億1900万円がかかるという算定は妥当なのか、何故近畿財務局は交渉経過に関するメモ・記録を破棄してしまったのか、国会の審議経過を見ても国民に納得ができる説明がなされていない。

また、森友学園の小学校設置認可申請に関しても、大阪府の私学審議会が2014年12月の定例会で「認可保留」として継続審議としていたのに、2015年1月に臨時の審議会が開かれ、条件付きながら「認可適当」の答申がなされている。

このように、森友学園の国有地取得や小学校設置認可をめぐっては、「国有地の激安払い下げ」、小学校の「異例のスピード認可」が行なわれているのである。

このような異例の措置がとられた背景に、森友学園問題が「安倍首相夫妻案件」であり、財務省、大阪府などがそろって森友学園に便宜を図ったのではないか、関係する官僚のいわゆる「忖度」があったのではないか、ということが話題となっている。

今の政治は、「安倍一強体制」といわれている。権力者の歓心を買うために安倍首相夫妻の意向を忖度し、森友学園の便宜を図ったのであろうか。

官僚が権力者の意向を忖度する動機には、自らの保身、出世といった私利私欲がある。

憲法15条2項は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と定めている。権力者におもねり、国民全体の財産である国有地を破格の安値で売却する行為は、憲法15条2項に違反する行為であり、背任罪という犯罪にも問われかねない行為である。

財務省は、官僚の中でも優秀な官僚が集まる省庁といわれている。その財務省で、国民の財産である国有地を破格の安値で売却することに抵抗する勇気、気概のある官僚が1人もいなかったのだろうか。また、森友学園に対する不明朗な国有地売却について内部告発をする勇気、気概のある官僚が1人もいなかったのだろうか。まったく情けないことである。官僚の腐敗、堕落も極まれりということである。

文部科学省でも、法の網をかいくぐって組織ぐるみで斡旋システムを築き、長期間にわたり違法な天下りを行なってきていたことが明らかとなり、歴代の事務次官や人事課長を含む43人が処分されている。ここにも、官僚が国民全体の奉仕者であるという精神を忘れ去り、私利私欲に走るといった官僚の腐敗、堕落が現れている。このような官庁が、人の道を説く「道徳教育」を推進していいのだろうか。

官僚機構の腐敗、堕落を生み出している元凶が安倍一強体制だとすれば、国民に奉仕するまともな官僚機構を確立するためにも、国民が安倍一強体制を倒すしかないであろう。

(うつのみや けんじ・弁護士、4月14日号)

繰り返し公明党に仏罰を(佐高信)

公明党及び創価学会員へ

共謀罪を容認し、安倍昭恵らの証人喚問を自民党と一緒になって阻止している公明党および創価学会に、私は国会前の集会で、こう叫びました。

「自民党に天罰を! 公明党に仏罰を!」

森友ならぬアベ友問題で、「疑惑の3日間」と呼ばれる日があります。2015年の9月3日、4日、5日で、4日に安倍晋三は国会開会中にもかかわらず、大阪の読売テレビに行って「情報ライブミヤネ屋」に出演し、その後、秘書官の今井尚哉と共に、冬柴大が経営する「かき鐵」で食事をしました。

このかき鍋屋は公明党の幹事長で国土交通大臣もやった冬柴鐵三が始めたもので、大は鐵三の二男です。そして、りそな銀行高槻支店の次長を務めた経歴があります。これを、森友疑惑の解明に公明党が及び腰であることと結びつけるのは考えすぎでしょうか。

私が昨年『自民党と創価学会』(集英社新書)を出した時、版元気付で「自公政権に反対する創価学会員代表」から次のような手紙をもらいました。差出人がわからないよう、定規のような四角い字で書いてあります。「身元がばれると、圧力がかかって大変ですから、このような文字に」したのだとか。

私などからは、これだけで創価学会の暗い閉鎖性を見せつけられる思いがしますが、拙著を「ピント外れ」と評する手紙は次のように続きます。

「少なからぬ学会員は私と同じく、次の選挙では自民党は勿論、公明党にも投票しないと言っています。なぜなら池田名誉会長の御指導に反し、大聖人の教えに反し、学会創立精神に反するからです。今の学会首脳部は、先生が完全に意思決定能力を失くしておられるのを良いことに、勝手なことをしています。現場は新聞啓蒙、民音チケット販売、党の資料配布、党の候補者支援葉書などを友人知人に書いてもらうなど、数の目標達成で本当に皆苦労しているのに、大幹部らはその上にあぐらをかき、高い給与、大企業並みの手厚い福利厚生、年金が保障され、下に号令している。勿論、人柄の良い、良識的な幹部もたくさんいます。しかし、モノ言えば唇寒し、上にたてつくことはできません」

「貴殿は多くのページをさいて、浜四津元代表代行のことをヤユし、批判しておられるが、馬鹿も休み休み言えと言いたい。彼女は生真面目に名誉会長の理想を語り、実現しようと命がけで闘った数少ない国会議員でした。しかし学会首脳につぶされた。
現に彼女は退任後、一度も党の会合に出席していません。党大会にも出ていません。それが何をイミするのか? 考えてみよ。
貴殿が彼女を批判しているのを、一番喜ぶのは誰だと思うかね? それは公明党を牛耳っている秋谷、谷川、佐藤らと、彼らにシッポを振ってのし上がってきた太田、うるし原、高木その他殆どの国会議員であることは間違いない。
公明党の議員は学会首脳の意向に反することを言ったりやったりすれば、浜四津のように内外から批判され、追及され、ハズされるんだ、よく覚えておけ! というメッセージになっているんですね」

脱会しない限り首脳部の力はそげない

そして、「貴殿は組織というものが判っていない」と決めつけているのですが、この「代表」を含む学会員こそ、組織がわかっていないと私は思います。この人のように、いくら、“下駄の雪”の言いわけをしても、脱会しない限り、首脳部の力をそぐことにはならないのです。「連合東京」が排外主義者の小池百合子の会の支援を決めましたが、個々の組合員にも連帯責任が生ずることを忘れてはならないでしょう。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、4月14日号)

安倍政権が“忖度”か?──内閣法制局で異例人事(西川伸一)

異例の官僚人事がまた行なわれた。3月31日付で松永邦男・内閣法制局第一部長が定年退官したのである。

内閣法制局には7人の幹部がいる。総務主幹、四つある部の各部長、内閣法制次長、そして内閣法制局長官である。「七人の侍」と呼ばれる(『大森政輔オーラル・ヒストリー』東京大学先端研牧原出研究室、2015年)。全員が他省からの出向者である。昇進ルートは、総務主幹→審査部(第二部〜第四部)のいずれかの部長→意見部である第一部の部長→次長→長官と定式化されていた。

また、内閣法制局には「四省責任体制」なる不文律が存在する(同『大森政輔オーラル・ヒストリー』)。長官と次長には法務省、旧大蔵省、旧通産省、旧自治省いずれかの省の出身者が就く、という意味である。小松一郎長官(外務省出身)の抜擢人事があるまで、破られることはなかった。言い換えれば、これら4省から総務主幹に出向すれば、やがては長官になることを出向者は予測できた。

こうした人事慣行が制度化する起点である吉国一郎長官時代(1972年7月〜76年7月)以降で、第一部長就任者は松永氏までで17人いる。そのうち次長以上に上がれなかったのは彼以外に2人しかいない。1人は病気療養の休職中の86年1月に死亡した前田正道氏(大蔵省出身)。もう1人は第一部長を最後に88年1月で退官した関守氏(農林省出身)である。関氏は上記4省以外からの出向なので、次長以上にのぼる途はそもそもなかった。一方、松永氏は旧自治省出身であるから、当然有資格者である。それなのに第一部長に据え置かれて無念の定年退官となった。これは何を含意するのか。

長官は特別職国家公務員なので定年はない。一方、次長以下は一般職国家公務員のため定年がある。次長は62歳、それ以外の職員は60歳である。それぞれその年齢に達して最初の3月末日が定年退官日となる。もし松永第一部長を既定の出世コースに乗せるのであれば、1956年10月生まれの彼の定年退官日となる今年3月末日までに次長に上げる必要があった。

また、これまで長官になれなかった次長はいない。そこで、その日までに横畠裕介長官が退き、近藤正春次長が長官になる人事も不可欠だった。ちなみに、横畠長官は次長時代の2014年3月末日に定年退官日を迎えた。しかし、病身の小松長官を支えさせるとの理由で政権が同日に定年の1年延長を決めた。その後同年5月に小松長官は退官し、横畠次長が後を継いだのである。

さて、近藤次長は56年1月生まれなので、2018年3月末日が定年退官日。ということは、その直前まで横畠長官の留任が数字の上では可能になった。仮にそれまで続投すれば、横畠氏は4年近い長期在職となる。横畠氏からさかのぼって10人の長官の在職期間をみると、宮礼壹長官(在任06年9月〜10年1月)の3年4カ月弱が最長だ。横畠氏は次長として小松長官を補佐し、次いで長官となって安保法案成立に貢献した。その「ごほうび」として、政権が「忖度」した人事なのだろうか。

今回の人事は3月29日付『読売新聞』がまず報じた。『産経新聞』と『毎日新聞』は31日付だった(『朝日新聞』は未掲載)。この時差も興味深い。

(にしかわ しんいち・明治大学教授。4月14日号)

♪おれ~俺 俺~詐欺~(小室等)

三月二六日、埼玉で「第12回ゆめ風であいましょう 永六輔さんを偲び『永縁』を紡ぐお話と音楽の集い」(共催/認定NPO法人ゆめ風基金・わらじの会・カタログハウスの学校)が催された。

永さんは、自然災害で被災した障害者を支援するNPO法人「ゆめ風基金」の呼びかけ人代表だった。同基金の全国ネットワークに参加する春日部市の団体「わらじの会」が今回の実動部隊。出演は、オオタスセリ、竹田裕美子、坂田明、中山千夏、李政美、こむろゆい、そして僕。

オオタスセリさんは、
♪おれ~俺 俺~詐欺~(サッカー応援歌)、
♪大飯の原発フル稼働 おじいさんの利権~(大きな古時計)、
♪じれったいじれったい 戦争するとか 派遣とかなら じれったいじれったい 駆けつけ警護も行きたくないわ~ 突然じゃない、みんなそうだわ 私たち、除隊Α(少女Α・中森明菜)、
♪風邪をひいたチキン、土の下に埋めて 渡り鳥が運ぶ 鳥の~インフルエンザ~(地上の星・中島みゆき)、
♪も~りと~もがくえん~払い下げ~ ハッハ~ハ 安倍がなく~ ハッハ~ハ 忖度だ~ ハッハ~(森へ行きましょう)
と、矢継ぎ早の替え歌であっという間に笑いと共感をつかみ取り、喉不調のハスキーが功を奏し、「ストーカーと呼ばないで」がGOOD!

昔ジャズピアニストが配偶者だった千夏さんとジャズ・サックス奏者の坂田明氏。波長は同期して、むやみな誉めそやし無縁の永さん話に花が咲いた後、千夏さんは小室と「老人と海」を歌う。久しぶりの芸能シーンは水を得た魚。

ルーツが済州島、在日二世のヂョンミさんは、東京・葛飾も私の故郷と「京成線」を歌った後、朝鮮民謡「珍道アリラン」と「密陽アリラン」をメドレーで。ヂョンミさんに流れる血が僕らの心を打つ。民謡は強い。

坂田氏は、顕微鏡の中のミジンコが「私を見て!」と言っているとオリジナル曲「Look At Me」の後、広島県呉出身の坂田氏、なんと呉の民謡「音戸の舟唄」をサックスとアカペラで弾き語りならぬ吹き語り。櫓をこぐ仕草を入れながらの歌に舞台が荒波に漕ぎ出る船と化し、ぐいっ、ぐいっと動きはじめた錯覚を覚える名唱。少年期、伝馬船を漕いでいた坂田明に流れる血も、ヂョンミさん同様、僕らの心を打つものであった。

核兵器禁止条約に日本が参加しないとか、大阪高裁が高浜原発再稼働を認めるとか、外ではいやな風が吹いているが、会場内には心地よい風が吹いていた。

夕方、スタッフたちは被災地障害者支援の活動に戻っていった。

(こむろ ひとし・シンガーソングライター、4月7日号)

雇用環境改善だけでは消費は増加しない(高橋伸彰)

現在の安倍政権が誕生してから政府の景気判断(『月例経済報告』)で、「回復している」という総括判断が示されたのは、消費税率引き上げ前の駆け込み需要があった2014年1月から3月までの3カ月にすぎない。翌4月には「緩やかな回復基調が続いている」と判断が下方修正され、その後は今年3月に至るまで36カ月連続の「回復基調」、すなわち「回復の途上にある(道半ば)」が続いている。

「回復している」と「回復基調」の間にどのような違いがあるのかを一般論として論じるのはむずかしいが、安倍政権下の景気に焦点を当てるなら個人消費が鍵を握っている。というのは政府が個人消費が「増加している」と判断したのも、14年1月から3月までの3カ月にすぎないからだ。つまり日本の景気が「回復している」という結果を出せずに、いつまでも「回復基調」という道半ばで足踏みしているのは、GDP(国内総生産)の6割を占める個人消費が増加しないからである。

一方、政府の景気判断によれば雇用情勢は15年12月以降、16カ月連続して「改善している」。この3月末に公表された「労働力調査」でも完全失業率は2.8%と22年ぶりの低水準となり、昨年11月以降すべての都道府県で有効求人倍率が1.0を上回っていることと併せ考えれば、雇用の需給が逼迫していることは間違いない。

それにもかかわらず雇用情勢の改善が、賃金上昇を通して個人消費の増加に波及しないのはなぜだろうか。政府・日本銀行は五右衛門風呂の例えを使って、釜は熱くなっているが、釜の湯が温まるまでにはなお時間を要していると嘯くが、ここまで湯が冷えたまま(消費が増加しない)なのは、そもそも湯を温められるほどに釜は熱くなっていない(賃上げが不足している)からではないか。

実際、『朝日新聞』は失業率が22年ぶりに低水準となったと報じる4月1日付の紙面で「人手不足感が強まっているにもかかわらず、賃金の伸びは鈍い」と指摘、『日本経済新聞』も同日付で「人手不足が賃金や物価上昇に波及する経済の好循環は実現していない」と報じている。安倍首相は「官製春闘」で賃上げを実現すれば消費も増えると目論んでいたようだが、今春闘の失速ぶりをみれば当てが外れたのは明らかだ。

筆者は本誌への寄稿(「永遠の『道半ば』に潜む安倍首相の真意」、2017年1月20日号)で、累計約340兆円の「失われた賃金」こそが消費不調の主因だと述べたが、その責任は経営側だけでなく積極的な賃上げ闘争を怠ってきた労働組合にもある。言うまでもなく、雇用の需給が逼迫したからといって市場メカニズムの作用で賃金が自動的に上がるほど現実は甘くない。賃上げは労働組合が対立覚悟で経営側と交渉して勝ち取るものであり、そのために団体交渉権やスト権行使などの闘争手段が法律で認められている

連合は一部大手組合の賃上げをもって春闘を総括するのではなく、すべての労働者が失われた賃金を奪還するまで間断なく闘争を続けるべきだ。そうでなければ安倍政権の命運が尽きる前に、連合に対する労働者の信頼が失われてしまうのである。

(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。4月7日号)

開沼博の正体(前編)──原発事故被害を「漂白」する伝道師(明石昇二郎)

良識ありげにデタラメを言う人が、なぜこれほど“評価”されるのだろうか。福島をめぐる見解、とくに安全性にかんする言説には両極端があり、被災者を悩ませている。だからこそ、私たちは「事実」を重視すべきだ。デマの垂れ流しを放置してはならない。

2011年4月10日、東京・高円寺で行なわれたデモ。

「『即座に原発をなくせ』ということが、ただでさえ生活が苦しい原発立地地域の人間にとっては仕事を奪われることになる。それがどれだけウザいか。『奇形児を作らせるな』と障がいがある方もデモに参加している中で叫ぶ。新たな抑圧が生まれかねない状況がある以上、手放しでは見過ごせません」

社会学者・開沼博氏が「日刊サイゾー」に寄せたコメントである(http://news.livedoor.com/article/detail/5769413/)。彼が批判したのは、今から6年前の2011年4月10日、東京・杉並区高円寺でおよそ1万5000人が参加して行なわれた「原発やめろデモ!!!!!」のことだ。

1万5000人の反原発デモは「ウザい」

翌12年6月の「首相官邸前20万人デモ」の端緒となったこの大規模デモは、福島第一原発事故とそれに伴う計画停電の衝撃が冷めやらぬ中、行なわれていた。

その「高円寺デモ」を、明石も取材している。デモとデモの参加者たちから受けた印象を、拙著『刑事告発 東京電力』(金曜日)の中で次のように書いた。

「彼らは三月一一日以降、大地震の揺れに見舞われ、帰宅難民となり、原発の爆発で肝を冷やし、首都圏まで飛んできた放射能で被曝を強いられ、水道水や野菜が放射能で汚染されたことで恐怖のどん底に突き落とされ、計画停電によって(鉄道の運転本数減をはじめとした)不便や(道路の信号機が点かないなどの)危険を強いられ、それでも、この日まで耐え忍んできた。そんな我慢を重ねてきた彼らがこの日、ついに感情を爆発させ、こんなことはもうゴメンだと、怒りの意思表示をしたのだ――」(カッコ内は筆者注)

同じデモを見ていながら、受ける印象はこうも違うものなのかと驚かされる。ただ、開沼氏が指摘する「奇形児を作らせるな」との叫び声は、デモの取材中、一度も耳にすることはなかった。

この日の高円寺デモにこれほど人が集まるとは主催者でさえ予想しておらず、それはデモを規制する警察や、デモを取材するマスコミにしても同様だった。同じ日に港区の芝公園周辺でも反原発デモが行なわれており、大半のマスメディアは「芝公園デモ」のほうを取材していたのである。

だが、社会学者の開沼氏は、毎日出版文化賞を受賞した自著『「フクシマ」論』(青土社)の中で次のように「高円寺デモ」を評論する。

「主催者は『大成功』だったと公式サイトで振り返る。ところが、『大成功』の一方で参加者やそこに共感を寄せる者が満足できなかったことがある。それはテレビ・新聞という大手旧来型メディアがこの一五〇〇〇人の『大成功』のデモをとり上げなかったことだ」

この日は、統一地方選の投開票日でもあった。当たり前のことのように思えるが、マスメディアは「反原発デモ」より選挙結果に紙面や放送時間を割き、原発推進を掲げた首長や議員が軒並み再選を果たしたことを報じていた。開沼氏は、こうした選挙結果を根拠に、原発の大事故が起きてもなお、原発で禄を食む人々のために「原発は維持」されるとして、

「原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼ら(原発の仕事で収入を得ている人々)の生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない」(カッコ内は筆者注)

と、デモを敵視する。

しかし、開沼氏は「高円寺デモ」当日、取材で新潟県を訪れていたのだという。当の『「フクシマ」論』に、そう書かれていた。

恐れ入ったことに開沼氏は、高円寺に来ないで「高円寺デモ」を批判していたのである。その上で開沼氏は、見ていないデモを「ウザい」「見過ごせません」などと罵倒していた。

ルポというより「エッセイ」

1984年生まれの開沼氏の出生地は、福島県いわき市。自身のオフィシャルサイトによれば、現在の肩書は立命館大学准教授である。

氏の著書『漂白される社会』(ダイヤモンド社)は、著者によれば「ルポルタージュ」(ルポ。現地報告)でもあるのだという。

『Voice』13年5月号で開沼氏本人が語っていたのだが、彼には実話誌『実話ナックルズ』でライターをしていた経歴がある。その頃に取材したネタを「社会学風」(本人談)に書き換え、ウェブサイト「ダイヤモンド・オンライン」で連載したルポを一冊にまとめたものだ。

同書のタイトルにもなっている「漂白」とは、開沼氏の定義によれば「これまで社会にあった『色』(偏りや猥雑さ)が失われていく」ことなのだという。そしてそれらは、治安上「あってはならぬもの」と警察が考えているものらしい。その具体例として同書で挙げられているのが、「売春」「生活保護の不正受給」「女衒」「賭博」「脱法ドラッグ」「過激派」「偽装結婚」などである。

東海地方の観光地を訪ねた「売春島ルポ」では、客引きのおばあさんを取材してはいるものの、売春行為の当事者である売春婦や客は登場しない。

そして、その観光地のそばには、かつて原発の立地計画があったと、唐突に語られる。そこでの売春の歴史と原発計画の間には何ら関連性がないのだが、参考文献を読み漁って書いた「解説」が、現地ルポより長く感じられるほど延々と続く。

開沼氏はこうした文章を「ルポルタージュ」と呼んでいるが、その実態は「エッセイ」(随筆)に近い。言うまでもなくエッセイは、本から得た知識や自身の体験や見聞をもとに、それに対する感想や印象、思想を書き記した文章のことである。

「過激派ルポ」での創作疑惑

開沼「ルポ」の最大の弱点は、作文を書く上での大原則「5W1H」(いつ・どこで・誰が・何を・なぜ・どのように)がハッキリ書かれていないことだ。そのため、追試や検証ができない。これは、ルポのリアリティや説得力にも関わってくることだ。

「調査対象者を傷つけない」ことを理由に、意図的に省略しているのだと開沼氏は説明する。だが、その理由では説明がつかない“5W1Hの省略”も彼の「ルポ」には存在する。

12年に書かれた「過激派ルポ」は、時期も場所も伏せられた「脱原発デモ」の描写から始まる。

「『ゲンパツイラナイ』『ゲンパツイラナイ』……。
先導する女性の声に呼応して響くシュプレヒコール。
そこにいる人々の表情は、『暗かったり』『重々しかったり』……とは程遠い。笑顔を浮かべる若者も年長者も、男女問わず、それぞれが自由に声をあげて体を動かす。しかし、その一群の姿からは、他の参加者とは違う、どこか “慣れた”様子が感じられる」(同書260ページ)

そして「『普通の市民ではない』彼らも帰途につく」として、開沼氏が過激派「A」のアジトを訪問した話へと繋がる。脱原発デモに参加していた人物が、公安警察にマークされている過激派のアジトにも出入りしているのか――という印象を読者に抱かせる文章構成になっている。

そこで疑問が浮上する。過激派「A」アジトの取材は、いつ行なわれたのだろうか。以前取材してストックしてあった過激派ネタを“在庫一掃セール”よろしく、12年当時の脱原発デモと安直に結び付け、「過激派ルポ」として仕立て直したのではないか――。

そんな不信感を抱くのは、前掲の『Voice』インタビューで開沼氏が、実話誌ライター時代に取材したネタを「社会学風」に書き換えたと語っていたからに他ならない。

現にアジトの描写では「脱原発」に関係する話題は何ひとつ登場せず、「三里塚のヤサイ」の写真がひときわ目を引くありさま。なぜ過激派「A」が脱原発デモに参加するのか、取材者である開沼氏は「A」のメンバーに訊ねてもいない。ひょっとすると、「過激派ルポ」の冒頭で登場する過激派は、「A」とは別のセクトなのか? そんな基本的なことさえ、開沼「ルポ」は説明を省く。ルポとして不自然である上に、不完全なのだ。

脱原発デモを「過激派」と結び付けるのであれば、読者を納得させるだけの理由や必然性がなければならない。例えば、以前取材したことのある過激派メンバーを、たまたま脱原発デモで見かけたのならば、そのままを書くのが「ルポルタージュ」である。「社会学」もまた然り。下手な演出は、読者をミスリードするだけである。

「漂白」される原発事故の健康被害

2016年4月21日付「WEDGE REPORT」。(撮影/編集部)

開沼氏は「脱原発」を唱える人々が嫌いである。そして、福島県民の健康問題を指摘する声にも、開沼氏は“鉄槌”を加える。

「甲状腺がんの問題もよく話題になりますが、『福島で甲状腺がんが多発している』と論文にしている専門家は、岡山大学の津田敏秀さん以外に目立つ人はいない。その論文も出た瞬間、専門家コミュニティーからフルボッコで瞬殺されています」

16年4月21日付「WEDGE REPORT」における開沼氏の発言だ(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6618?page=1)。科学者のコメントとは思えないほど意味不明だが、悪意だけはしっかりと伝わってくる。

原因はさておき、福島第一原発事故以降、福島県内で甲状腺がんが多発しているのは事実である。それは小児ばかりか、大人でも言えることだ。国の「全国がん登録」データを検証したところ、同原発事故以降、福島県で大人の甲状腺がんが増加していることが確認されたため、本誌16年7月22日号でその事実を明石が報告した。その記事では、疫学と因果推論などが専門の津田敏秀・岡山大学大学院教授のコメントも紹介している。

論文には論文で対抗するのが科学界のルールだ。津田論文が「フルボッコで瞬殺」されたかどうかは、当の論文が掲載された医学雑誌上での議論の結果、判断される。だが、津田論文が「瞬殺」された事実はなく、同論文は取り下げられてもいない。開沼氏が言うような「専門家コミュニティー」が審判役を務めるわけでもない。そしてこのことを、科学者である開沼氏が知らないはずがない。

「専門家コミュニティー」がどんな人たちのことを指すのか説明はないが、津田論文に不快感を表明している人の大半は、いわゆる「原子力ムラの御用学者」たちである。

国際環境疫学会が発行する医学雑誌『エピデミオロジー(疫学)』のオンライン版に津田論文が掲載されて以降、津田教授と原子力ムラの御用学者たちの対決が、新聞紙上や公開討論会等で繰り広げられてきた。そうした対決や論争を新聞記事で確認すると、津田教授は「フルボッコで瞬殺」などされていない。だが、見てもいない反原発デモさえ敵視する開沼氏にはそう見えるのか。開沼氏にとって、原発事故に伴う被曝による健康被害は「あってはならぬもの」、つまり漂白されるべきものなのだろう。しかし、だ。

「社会学者」の開沼氏が科学的根拠を示さぬまま、悪意を持って名指しで疫学者の名誉を棄損し、事実でない話を得意げに言いふらすのは、科学のルールを著しく逸脱しており、科学者失格である。

(あかし しょうじろう・ルポライター。4月7日号掲載。後編は4月14日号に掲載しています

もっと闘え!民進党(西谷玲)

今回は2月10日号本欄に続き、民進党のことを取り上げたい。ご存知の通り、今国会では森友学園問題で紛糾している。ここでこそ攻勢をかけて安倍政権を追い詰めなければならないし、それが可能なはずなのに、迫力不足に見えるからだ。各種世論調査で、安倍政権の支持率が下がっていても、民進党のそれが上がっていないのはその表れだろう。

何といっても国会戦略のまずさが挙げられる。まず、予算を早く通しすぎた。森友学園問題では、2月17日の時点で安倍晋三首相は、国有地が格安で払い下げられたことについて、「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と明言している。ここまで言い切るか、という調子だったわけだが、この時点でこの問題の重さを察知して、戦略や進め方を練らねばならなかった。

それなのに、その10日後の27日にあっさりと予算を衆院で通してしまった。スピード通過である。その後、稲田朋美防衛相は、森友学園の訴訟について、答弁を撤回して謝罪をしている。3月半ばのことで、まさしく虚偽答弁で大問題だ。もう少し予算通過を遅らせていれば、国会戦術として、予算を「人質」にとって稲田氏の辞任を迫ることだってできたはずだ。

稲田氏については、南スーダンのPKO(国連平和維持活動)での日報を防衛省が廃棄したとしていたが、その後保存されていたことが発覚している。その日報には、昨年7月の首都ジュバの状況を「戦闘」と表現していたが、「衝突」と言い換えてきた。なぜならば、「国会答弁をする場合、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」(稲田氏)からだ。逆だろう、憲法に抵触するからと現実を捻じ曲げてどうする。そんな問題だらけの防衛相、“首”をとれなくてどうするのか。国会のやり方としてどうなのか、という民進党への疑問はまだある。

籠池泰典氏への証人喚問の時、衆院で質問に立ったのは枝野幸男氏であった。彼は論客だし、質問巧者でもある。しかし、ここではこの問題に先鞭をつけた福島伸享氏が担当するのが筋というものだろう。先述した2月17日の質問も福島氏によるものだ。一番問題に詳しい彼になぜやらせないのか。

それは、「偽メール事件」の再来を懸念して、ということのようだ。偽メール事件は2006年、今の野田佳彦幹事長が国対委員長の時のことだった。あの時の失敗のように、問題をあおりたくない、あくまで慎重に進めたい、ということのようだ。偽メール問題とこの森友問題は位相を異にしているように思えるがどうだろうか。そうならないように、福島氏を党が側面支援すればいい話ではないか。ビビり過ぎのように思えるが。

今、民進党に必要なのは「闘うんだ」「必死なのだ」というファイティングスピリットである。それが見られない。そこを国民に見透かされて、支持率が伸びないのではないか。ある若手は「解党しかない」と言った。じゃあ出ていったら? と言いそうになった。なぜならその言い方が、他人事のように聞こえたからだ。党がこんなふうになったのは上のせいだ、自分のせいじゃない、というように。なんか冷たいのだ。きっと、こういう人が多いから党がこんなことになってしまった、気がする。

(にしたに れい・ジャーナリスト、4月7日号)

アンパンの経済学(浜矩子)

開いた口がふさがらず、顎がはずれて地面に着きそうになった。道徳教科書の検定結果に関するニュースを聞いてのことである。小学校の道徳教育は、2018年度から正式に「教科化」される。それに対応して出版各社が作成した教科書に関する検定が行なわれた。

検定意見を受けて「パン屋」が「和菓子屋」に差し替えられることになった。お散歩の途上で、おじいさんに連れられた小学1年生がパン屋に立ち寄る。この想定が、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと」という学習指導要領が示す「内容項目」に合致しない。そういうことらしい。

一体どんな人たちが教科書検定にたずさわっているのだろうか。多くの審議会委員たちが、明治の富国強兵時代からタイムスリップして来ているのかもしれない。全国津々浦々のパン屋さんたちは、今、どんな気持ちでいるだろう。自分たちは、子どもたちが愛着を持つべき対象として認知されない。子どもたちの愛着の対象となってはいけない。そんな風に考え込んでしまわないといい。

一方で、「グローバル人材の育成」などということがやたらに言われる。このことと、パン屋は×で和菓子屋なら○だという発想の間には、いかなる脈絡があるのか。少し考えればすぐ解る。上記の「グローバル人材の育成」とは、視野がグローバルな人々を育てるとか、多様性を包摂できる感性を育むことを意味してはいない。目指されているのは、グローバル競争に勝てる人間軍団の育成だ。愛国的グローバル戦士だ。この「愛国」の部分を担当するのが、道徳教育だということなのだろう。

このおぞましきニュースが、どうも、今場所の大相撲のイメージと重なってしまう。「○○年振りの日本人横綱」という言い方が飛び交う。大奮戦した手負いの新横綱、稀勢の里関に拍手を惜しみはしない。だが、この間、相撲人気を支えてきた外国人力士たちは、今、どんな思いでいるだろう。それが気になるのだ。

ところで、本欄は「経済私考」である。だから、このパン屋問題も、経済的観点から考えておく必要がある。呆れるばかりの道徳教育の結果、日本の「文化と生活」の中からパン屋さんたちがいなくなったらどうなるか。端的にいって、和菓子業界も大いに打撃を受けることになるだろう。

なぜなら、世の中からアンパンが消えるからである。アンパンは芸術品だ。和と洋の絶妙なフュージョン。奔放な折衷コラボが生み出した至高の作品だ。残念ながら、筆者は甘い物が大苦手だ。その意味ではアンパン・ファンだとは言えない。だが、アンパンの経済効果は解る。アンパンから、子どもたちを和菓子の世界に誘導することだってできるだろう。

相異なる物たちの出会いが新たな創造につながる。多様なる人々の相互包摂が、新たな文化を生み出すのである。経済活動は、画一化と平準化が進めば進むほど、停滞する。人間社会は、多様性が低下すればするほど、消滅に近づく。これくらいのことは、教科書検定に当たるタイムスリップ人たちにも解ってほしい。筆者の顎の健康のためにも。

(はま のりこ・エコノミスト。3月31日号)

竹中労に学んだ人斬りの法(佐高信)

「ヘアトニック・ラブで革命ができるか」

不破哲三について竹中労はこう言った。現在の志位和夫のように“共産党のプリンス”視されたころの不破を、プラトニック・ラブをもじって痛烈に皮肉ったのである。

私は悪罵の投げ方を、この竹中に学んだ。竹中は『週刊読売』連載の「エライ人を斬る!」で、時の首相・佐藤栄作の妻、寛子などを槍玉に挙げ、突如、連載を打ち切られる。ちなみに同誌1970年9月25日号掲載の「佐藤寛子を斬る」のタイトルは「“庶民”ぶるネコなで声の権勢欲夫人」だった。

それで竹中は謝罪文要求の訴えを起こしたのだが、その裁判の証人に自らが「反逆の志忘れたハゲ坊主」とバッサリやった今東光(中尊寺貫首、元参議院議員、作家)を申請した。そして、1976年10月27日、病気だった今の“臨床尋問”が行なわれる。

訴えられた読売新聞社側は、竹中の今批判を「下品で野卑で愛情のない、プライバシーを傷つける表現」であり、「取材の対象に会いもせずに、恣意によってメッタ斬りにする、人物評論の常道を逸した低級な記事」と決めつけたが、今自身はそう受け取らなかった。

「竹中クンの人物評には、底意地の悪い不潔感のともなう表現はありませんね。斬られるほうだって、鈍刀でやられるより名刀でスパッとやられたほうがさっぱりする。竹中クンの裁断というか、メスの入れ方というものは非常に明快、痛快で僕は好きですね。それを嫌だ不愉快だというのは、よっぽど了見のせまいヘンな野郎で、そういうのがつまりエライ人ということになるんでしょうな」

名刀ではなく竹中のような妖刀で

弁護士が「体制秩序のタイコ持ち」といった表現を中傷とか個人攻撃と思わなかったかと尋ねても、今は平然と答える。

「日本人というやつはかげにまわると、天皇陛下の悪口だって言うんですから、面とむかってののしられるのは、むしろ幸運だと思わなくちゃいけないんですよ。よい評判しか耳に入ってこないと、人間は堕落しますからね。ハゲといわれるのが嫌ならカツラをかぶりゃいい、タコ坊主、クソ坊主、そんなこたァあんた、銀座のバーの女の子のほうが、よっぽどぬけぬけと不遠慮にいうんダ。竹中が言ったからハラが立つ、ホステスだったらヤニさがってへらへら聞いている、そんなものですよ並のエライ奴ってェ人種はね」

竹中は今を「男根もどきの禿頭を、おっ立てふり立ててマスコミを騒がせにかかった」とも書いている。

弁護士が「そんな表現がありましたね」と挑発しても、
「ああ、ござったござった。ヘッヘッヘッ実に面白いねぇ」
と今は笑いとばす。そして「文体や斬る対象によっての心配り」がなされているかという問いにも、泰然と答える。

「これはねぇ、無意識にというか、言いたい放題に書いちゃいませんよ。文章読めばすぐにわかるけど、竹中ってのは意識過剰な男だからね、それはかなりはっきり意識して工夫して書いていますとも。これね、ちょっと見ると、俺を怒らせよう怒らせようとして、今東光に竹中が挑んでるなと、トーシロは思うでしょうけどね、そいつは間ちがいだな、だいいち僕自身がそうとっていません。逆に悪口はそれでも足りない、もっとやってと言いたいくらいだ。人物評ってもな、そういう毒をふくまなくちゃ、サマになりゃあしません」

竹中によれば、今のこの証言は事前の打ち合わせなどまったくなしに行なわれたものだった。私は名刀ではなく、竹中のような妖刀で、これからも人を斬っていきたい。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、3月31日号)

女性市議はなぜ「炎上」したのか(黒島美奈子)

発端は3月9日夕、沖縄県宮古島市の市議が自身のフェイスブック(FB)にした投稿だった。

陸上自衛隊が米カリフォルニアで米軍演習に参加したことを伝え「海兵隊からこのような訓練を受けた陸上自衛隊が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる。軍隊とはそういうもの。沖縄本島で起こった数々の事件がそれを証明している」などと綴られていた。

米軍による性的暴行は深刻だ。米国防総省が2014年に公表した報告書によると、13年度の米軍内での性的暴行件数は5061件で前年度比50%増。同省が数年前から対応を強化しているにもかかわらずにだ。軍別では海兵隊が最も多く、女性海兵隊員の7・9%が被害を訴える。こうした性的暴行の多さは軍隊の構造によると指摘されている。市議の投稿はそうした事実を踏まえ、米軍との共同訓練強化で自衛隊が影響を受けるのではないかと懸念したものだ。

ところがFBには投稿を批判する意見が相次いで寄せられた。いわゆる炎上だ。市議は翌10日、同じFBで「言葉足らずな表現から、私の意図するところとは違う様々な誤解を生んでしまいました」と謝罪。(1)自衛隊や自衛隊員を批判しているわけではない、(2)自衛隊員がみんな婦女暴行事件を起こすと思っているわけではない、と釈明した。投稿の趣旨は「米軍と一体化して訓練することで、本来の自衛隊の専守防衛の枠を外れつつあることに強い危機感を持った」としたが、誹謗中傷や家族の情報を暴露するような書き込みも増えたことから一連の投稿を削除した。

日本という国で、軍隊による性暴力について認識を共有することは難しいのだろう。72年前の米軍の侵攻と同時に、沖縄では兵士による性暴力が続いている。しかし被害の実証は長い間困難だった。性暴力への偏見が根強い社会で被害者の多くは沈黙し、表面化するのは殺人に至ったケースなど一部の事件のみだ。県内の女性団体が古い警察記録や文献から洗い出した資料によって、米軍の駐留と性被害の関係性が明らかになったのは1990年代後半のことだ。

FB騒動は投稿削除で収まるかに見えたが、その後、舞台は市議会へ。投稿を疑問視した保守系与党会派議員団が市議の辞職勧告決議案を緊急動議で提起し可決。理由は「市議会の品位を著しく傷つけた」からだという。市議が議員継続の意志を示すと翌日、それに反発した議員ら15人が一般質問をボイコットし流会。本会議が2日間も停滞する異例の事態となった。

なぜか。私は、くだんの市議が女性であったということが関係していると思う。ネット投稿で批判を浴びる議員発言は今や枚挙に暇がないが、それに対してほかの議員が一般質問をボイコットするなど聞いたことがない。辞職勧告決議の理由が「市議会の品位を傷つけた」というのも釈然としない。強引な市議会の態度は、国会で野党の女性議員が質問に立つと、男性議員の時とは明らかに異なる態度をとる閣僚たちと重なる。

同様に感じた人は、多かったのかもしれない。次第に市議会の対応への疑問の声が寄せられるようになり、議員らのトーンは急速に低下した。3日目には一転、議会は正常化した。政治をただすのはやはり、市民の声なのだ。

(くろしま みなこ・『沖縄タイムス』記者。3月31日号)