考えるタネがここにある

週刊金曜日オンライン

  • YouTube
  • Twitter
  • Facebook

,

【タグ】

『ゴールデンカムイ』最終話を再考する 無視されたアイヌ先住権

千本木 るりこ・アウトドアガイド見習い、物書き。|2026年5月28日4:02PM

フィクションであっても

  以上3点が、大ヒット漫画の最終話にある問題点である。しかしながら、本稿に対し「フィクションに、現実に存在する問題の正確な解決を求めるのは筋違いだ」という反論は当然予想される。確かに物語は必然的に省略・単純化・再構成を行なうが、ここで問われるべきは「省略があった=欠陥作品だ」という短絡的な点ではなく、「なぜその省略がなされたか」「誰にとって都合のよい省略か」という問いだ。

  マジョリティによるマイノリティの表象は、明示的な差別の描写がなくとも、「誰が語るか」「何が語られないか」という構造において権力関係を再生産し得る。本作への批評もまた、この視点から「語られなかったもの」を問う作業が求められるのではないか。

  この点で、作者の野田サトル氏がインタビュー(注2)において差別を強調して描かなかった理由を「差別を強調することは逆に悪影響だ」という主旨で語っていることは示唆的である。制作者側、それもマジョリティに座する者が「差別を描かないことこそが良心的である」とする姿勢は、結果として現在も続く差別の構造を不可視化する。この「マジョリティにとっての居心地のよさ」が、作品への批判を封じ込める免罪符として機能し、当事者を再び沈黙させるという二重の加害を生み出すことになる。

  もちろん、この作品が人々に与えた影響を軽視したいわけではない。同インタビューには、アイヌのルーツを持つ方からの手紙が紹介されている。そこには、長年アイヌであることを打ち明けられなかった高齢の女性が、この漫画のおかげで自らの言葉を孫に伝えられるようになったという、胸に迫るエピソードが紹介されている。

  ただ、野田氏自身も「これがアイヌの方の総意ではない」と語っている。本稿もまた、その言葉を引き受けたい。アイヌ民族の声は多様であり、マジョリティである筆者がその総体を語ることはできない。ここで問いたいのは「作品の価値」ではなく、その熱狂の中で「語られなかったもの」が誰にとって都合よく沈黙させられたか、という構造のことだ。

  この立ち位置にあって、問うべきものは、「かっこいいアイヌ」という記号のみが独り歩きし、文化と日々の営み・先住権をめぐる政治的権利が乖離したまま消費される現状は、その枠組みからはずれる個々のアイヌ民族の存在を再び不可視化させる危うさがあるのではないか、という点である。

文化と権利の乖離

  この「文化と権利の乖離」は、作品の外の現実においても制度として固定化されている。2019年に施行されたアイヌ施策推進法(注3)は、アイヌ民族を「先住民族」として初めて法律上明記した点では前進した。しかし同法は、土地権・漁業権・自治権といった先住民族が本来有するはずの権利の実質的な回復には踏み込まず、文化振興と観光促進を主眼とした「文化政策」の域に留まるものとして、多くの研究者から批判されている。

  国際的な基準と照らしても、日本はILO(国際労働機関)第169号条約(原住民及び種族民条約)(注4)を批准しておらず、国連先住民族の権利に関する宣言を採択しながらも国内法への反映は遅れたままだ。アイヌ民族の伝統的な漁業権についても、サケの採捕が慣行的権利として認められるかをめぐって法的な争いが続いており(ラポロアイヌネイションによる訴訟〈注5〉など)、「文化としてのアイヌ」と「権利主体としてのアイヌ」の間に横たわる深い溝は、制度的にも未解決のままである。

  アイヌ民族に対するヘイトスピーチもまた、「文化と権利の乖離」のある社会の雰囲気と無関係ではないだろう。「アイヌ民族はもういない」「特権を享受している」といったネット上での事実無根の言説の拡散は、残念なことに現在もさかんに続いている。こうした露骨なヘイトスピーチに対し、国や自治体による法的規制の整備は当然として急務だ。しかし規制の有無と同時に問われるべきは、マジョリティ側に根づいたマイノリティの権利軽視の空気ではないか。その土壌が温存されている限り、ヘイトスピーチは増長可能な余地を残し続ける。

  アメリカの人権団体ADL(Anti-Defamation League)が提唱する「憎悪のピラミッド」(注6)によれば、特定のアイデンティティを有する者への暴力は突如発生するのではなく、日常的な「冗談」や「ステレオタイプ化」という土壌から段階的に育つとされる。フィクションとして作品を受け止めたマジョリティによる「肯定的なステレオタイプ」であっても、それが実在の人々の権利や現実の苦難から乖離したものであるならば、リスペクトを装った新たな「選別」としてピラミッドの基盤を強固にする一因になる可能性がある。

憎悪のピラミッド

 『ゴールデンカムイ』は優れた漫画作品であり、一級のエンターテインメントであることは間違いない。だからこそ、現実に横たわる問題をあたかも存在しないもののように扱った結末への落胆は大きい。「作品を楽しむこと」「文化を愛すること」、そして「現実の問題としての権利回復を支持すること」、これらは矛盾しない。その三つを接続する意志を持つことが、ブームの消費者ではなく、応答責任を持つ主体としての和人マジョリティが踏み出す、確かな第一歩ではないだろうか。

(注1) 野田サトル『ゴールデンカムイ』(集英社)第314話(単行本31巻収録)。

 (注2)集英社オンライン「『ゴールデンカムイ』を描いた信念につながる1通の手紙…野田サトル1万字インタビュー#2」(2022年9月30日)https://shueisha.online/articles/-/41208

 (注3) 2019年5月24日施行。アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律。

 (注4) 国際労働機関(ILO)1989年の原住民及び種族民条約(第169号)1989年6月27日。

 (注5) ラポロアイヌネイション(北海道浦幌町)が2020年に提訴したサケ・マス等の漁業権確認訴訟。アイヌ民族が先住民族として川や海でサケ等を漁獲する権利を有することの確認を国・道に求めたもの。2024年4月、札幌地裁は請求を棄却。控訴審が2026年2月に行なわれ、判決は2026年7月予定。本誌2026年3月13日号で既報。

 (注6)〝Anti-Defamation League”よりPYRAMID OF HATE

(『週刊金曜日』2026年4月24日号)

※定期購読はこちらをクリック

【タグ】

●この記事をシェアする

  • facebook
  • twitter
  • Hatena
  • google+
  • Line

電子版をアプリで読む

  • Download on the App Store
  • Google Playで手に入れよう

金曜日ちゃんねる

おすすめ書籍

書影

増補版 ひとめでわかる のんではいけない薬大事典

浜 六郎

発売日:2024/05/17

定価:2500円+税

書影

エシカルに暮らすための12条 地球市民として生きる知恵

古沢広祐(ふるさわ・こうゆう)

発売日:2019/07/29

上へ