ハンセン病回復者と地域で住まう選択(中) 「療養所への再入所を強いられる現実」
大月えり奈・ルポライター、カメラマン、社会福祉士|2025年12月16日3:31PM
尊厳を取り戻したいと、支援策がほとんどない時代に社会復帰したハンセン病回復者で作家の伊波敏男さん。近年、地域生活を諦めて療養所に再入所する人が増えていることに「人生を奪われた回復者が終生の地を選べる社会に」と声を上げる。

ハンセン病は「らい菌」という極めて感染力の弱い菌による病気だ。主に皮膚や末梢神経が侵され、治療法がない時代は手足や顔などの形が変わる後遺症が残ることもあった。現代の日本では感染することも発病することもほぼない。遺伝する病気ではない。
国が隔離政策の法律を制定し、偽った情報を国民に伝えて患者や回復者、家族への偏見や差別意識を助長させた歴史がある。1931年の「癩予防法」ですべての患者を対象に療養所に収容する「絶対隔離政策」が始まった。それを徹底しようと「無癩(らい)県運動」も行なわれ、市民も政策の過ちに気付けずに〝良識〟として加わった。
基本的人権の尊重を掲げる日本国憲法ができても隔離政策は続いた。96年に「らい予防法」は廃止されたが、社会には深い爪痕が残されたままだ。
回復者は高齢化に直面
ハンセン病回復者の高齢化は進み、全国の国立療養所入所者の平均年齢は2025年5月1日現在で88・8歳。療養所の外で暮らす回復者にもその波は押し寄せている。
こうした中、伊波敏男さん(82歳)は地域社会で暮らす回復者が老人福祉施設に入所しようとすると大きな壁に直面すると指摘している。
まず、療養所の外で生活する回復者が受給している「ハンセン病療養所退所者給与金」と「ハンセン病療養所非入所者給与金」(以下、合わせて「給与金」)の制度に〝瑕疵〟があることで経済的な葛藤が生じるという。
また、差別の解消が進んでいないことを背景に、施設への入所手続きの過程で病歴が知られることを恐れ、断念する人がいることを挙げている。
高齢化によってハンセン病問題が抱える課題が浮き彫りになっているのだ。
給与金は回復者の支え
地域で暮らす回復者には、「らい予防法」が廃止される前の支援策がほとんどない時代に、厚生省(当時)の準則に基づき療養所から「軽快退所」をした人や、逃亡をした人、一時帰省をしたまま戻らなかった人もいる。また「無癩(らい)県運動」の時に逃げ通したり、人前に一切出なかったりして収容を免れた「非入所者」もいる。
こうした人たちが安定した職に就くことは困難を極めた。療養所にいた事実を伏せるため履歴書が出せないこと、後遺症で身体機能に障害が残ったり見た目で偏見に晒されたりする場合があること、病歴が知られるのを恐れて他者と深く関われないことなど、深刻な事情が絡み合う。
「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で原告勝訴が確定した後、療養所の外で暮らす回復者に対し、国から退所者給与金と非入所者給与金が支給されるようになった。
全国の受給者数は、退所者給与金が772人、非入所者給与金が75人(25年5月1日現在)。退所者給与金の一人世帯の月額支給額は、退所した時期により17万6100円または26万4100円。非入所者給与金は、市町村民税非課税者は7万3320円、その他の人は5万5130円だ。
伊波さんは、「労働条件が悪く、社会保険が整わない職場で働いてきた人が大半で、年金受給額が最低水準の人も多いと思われる。生活基盤が極めて不安定な中で、この給与金が大きな支援であることは間違いない」と説明する。
“補償が福祉制度で消える”
だが伊波さんは、「自分が老人福祉施設に入所をする時に給与金制度に瑕疵があることに気付いた」と語る。
「施設の月額利用料を算定する時に給与金が収入から除外されず、〝高額所得者〟の階層になることで大半が消えてしまう」
現在、特別養護老人ホームや養護老人ホームでは、老人福祉法に基づき措置入所での費用を定めるにあたり、給与金を収入として認定する運用が行なわれている。その際、原子爆弾被爆者への特別手当の一部や、公害健康被害の補償給付のうち生活保護法で定める額は収入に認定しない。
また軽費老人ホーム(自立した日常生活に不安があると認められる原則60歳以上の人を対象に食事提供などを無料または低料金で行なう施設)は措置以外のケースで契約入所となるが、その場合についても給与金は収入として計算される。
なおハンセン病療養所では、退所者も非入所者も本人が希望をすれば、病気が再発していなくても入所が可能だ。療養所に入所すると給与金は支給されなくなるが、食事や住まい、医療にかかる費用は国費で賄われる。また後期高齢者医療保険や介護保険は適用除外となるため、保険料を納めることはなくなる。
伊波さんはこうした支出の差は大きいとし、「これでは療養所への再入所に追い込んでいるようなもので、苦労を重ねて築いた地域での暮らしを断念する誘因になっている。今後、療養所の外で暮らすすべての回復者が直面する問題だ。給与金を施設の費用徴収額を決める対象収入から外してほしい」と訴えている。
「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で西日本弁護団共同代表を務めた德田靖之弁護士は、「給与金は隔離政策によって被害を与えたことに対する補償であり、損害賠償としての性格を持つ。年金とはまったく異なるものだ」と述べる。
その上で、「老人福祉施設で本人からの徴収額などを決める対象収入から給与金を除外するには、議員立法であるハンセン病問題の解決の促進に関する法律に除外規定を設けるなどしなければならず、国会議員懇談会の場で問題提起し、変えなければならないという機運を高める必要がある。この問題は原告団や弁護団の間でも認識されているが、現時点では国との定期協議会のテーマに上がっていない。だが非常に重要なことで議題にすべきだと考えている」と話す。
「生きる場所を選ぶ権利」
伊波さんは回復者にはそれぞれの希望があり、療養所を選ぶこと自体を否定しているのではない。強調しているのは、地域社会であっても療養所であっても「真に本人が望む場所で暮らす選択肢があること」だ。
だが現状ではノーマライゼーションには程遠い現実が横たわっている。
「老人福祉施設に入りたいと思っても、収入状況の確認を通じて病歴が発覚することを危惧したり、医療機関にかかることに抵抗を感じる人もいる。再入所の理由が、せめて老後だけは差別を気にせず暮らしたいということならば、国家政策である社会統合の失敗だ。『外(一般社会)で生きるか? 内(療養所)に還るか』という問題からいまだに離れられない。かつて意を決して療養所を飛び出した人が終の棲家としてまたそこに戻るのは大変な葛藤があるだろう」

“ふつうの暮らし”を求めて
伊波さんは地域社会に身を置くことに信念を持っている。
――1943年に沖縄県で生まれ、14歳でハンセン病と診断された。戦争で病気の発見が遅れ、知覚麻痺が進行し両手に重い障害を負った。沖縄愛楽園に入所した時に偽名を強要され、存在が消されたような絶望感に苛まれた。
その後、岡山県にある入所者のための唯一の高等学校(邑久高等学校新良田教室)でどうしても勉強がしたいと療養所を脱走。パスポートを手に本土に渡り、入学した。在校生の中で障害度は最も重かったが、高熱と激痛に耐えながら、両手と両足で12回もの形成外科手術を受けた。「社会復帰を果たして自力で働き、〝ふつうの暮らし〟がしたい」と願ったからだ。
26歳で東京・多磨全生園を退所。胸を張って生きることを目指してカミングアウトをした。他者からの視線に怯えながらも、見た目で分かる後遺症のある両手を人前に出して過ごした。そして回復者を受け入れたことがない社会福祉法人の理解を得て就職し、28歳で結婚して2人の子を儲けた。
だが普段人々の心に潜む差別意識は〝自分の近くに対象がいる〟となるとあからさまに牙を剝く。子どもの通う保育園からは度重なる圧力を受け、アパートに入居が決まると周囲の部屋は辞退が相次いだ。容赦なく襲う苦難の連続で、家庭は8年で崩壊。妻と幼い子どもたちは去っていった。
こうした多大な犠牲を伴いながらも、「誤った歴史が繰り返されないよう当事者が口をつぐんではいけない」と自らの生き方を示し続ける。人権の大切さを発信し、多様性を認める社会を希求する。
伊波さんと20年来の友人で、地域医療を通して共生社会の実現を目指している医師の色平哲郎さんは、「相手と向き合う時に〝この人は障害者だ〟とか〝この人はハンセン病回復者だ〟と見るのではなく、あくまでその人が併せ持つ個性の一つと捉えることが大切だ。『私はたまたま女性で、あなたはたまたま外国人で』などと考えれば、排他的な思想に陥らないだろう」と語る。

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「たまたま」感染症にかかったことで、生涯にわたり重い秘密を抱え、自由から程遠い場所に置かれたままの人たちがいる――この現実を前に、社会の成熟度はこのままで良いのかとハンセン病問題は私たちに問いかける。次回は回復者を地域で支える体制のあり方について考えたい。
(『週刊金曜日』2025年10月10日号)
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