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国立ハンセン病資料館事件が露わにした公務委託の闇

竹信三恵子・ジャーナリスト。和光大学名誉教授。|2023年8月3日3:19PM

採用試験は異例の「多面評価」

 こうして契約打ち切りとなった稲葉さんたちを待ち受けていたのが、次の受託者、笹川保健財団による、「初の採用試験」だった。

 この試験は、元同僚たちの参加による「多面評価」を通じて行なうとされた。

「多面評価」とは、上司だけでなく、同僚や部下、他部署など複数の関係者から評価を行なう手法を指し、周囲のあらゆる方向からの評価であるため360度評価ともよばれる(「リクルートマネジメントソリューションズ」サイトから)。一般には、評価結果を本人にフィードバックして自己変革を期待する人材育成や、仕事ぶりの評価が目的とされ、採用試験への利用は異例とされる。

 ハラスメントを問題にして労組を結成した職員の再採用を、ハラスメントがあった職場の同僚たちの評価で決めるのは、「村八分」となる恐れもある。しかも、通常50ある評価項目のうちコミュニケーションに関わるもの9項目が選ばれ、周囲への同調が重視される試験になっている。

 こうした点は都労委でも疑問視され、財団側は、中労委への書面などでコミュニケーション力は館の運営にきわめて重要と反論している。学芸員としての知見は資料館の根幹にかかわるが、業績審査などはなく、論文等のタイトル一覧の提出が求められただけだった。

 このように、委託先の変更と、新委託先での主観性の強い採用試験の組み合わせが横行すれば、気に入らない職員は簡単に排除されかねない。公務委託の二つ目の闇が、そこにある。

賃上げ要求阻む委託費の天井

 三つ目の闇は、委託費の天井が賃上げ要求を阻む口実とされうることだ。

 今年2月、組合側は財団との労使交渉で、賃上げなどを求めた。同資料館の学芸員(課長職)の年収は、国立博物館を運営する国立文化財機構の学芸業務を担う研究職の平均年収より280万円以上少なく、また国立文化財機構の同年齢の事務・技術職の年収と比較しても約70万円少ない(2月10日付組合要求書)。政府が賃上げに協力を要請していることも挙げての要求だった。

 笹川保健財団側の回答書(3月8日付)では、「厚生労働省から委託された予算枠内で資料館の予算を執行することになる上、近年の光熱費等の大幅な高騰もあるから、給与の引き上げには慎重な検討を要する」とされた。

「光熱費の大幅な高騰」で圧迫されるのは職員の生活も同じだ。賃上げの壁になっている予算枠の引き上げを厚労省に交渉してほしいと要求すると、厚労省が決めた予算額に沿って一般競争入札に応札し、受託しているので、その後に予算(受託費)の増額を要求することはできない、と回答があった。急な経済変動で職員の生活が悪化しても、「委託条件の壁」を持ち出されれば働く側は踏み込めない。

 その後、財団は賃上げを実施したと回答した。組合の要求に応じたとは認めず、委託費のやりくりで実現したと説明され、資金はあったのだ、と稲葉さんは思った。

委託業務外の組合活動は認めない?

 3月8日の財団側回答書からは、もうひとつ注目すべき疑問点が浮かんでくる。働き手が労働条件を引き上げるために必須とされる労働基本権について、厚労省から指示された委託の範囲外であることを理由に認めないかのような記述があったからだ。四つ目の闇だ。

 2月10日の要求書で組合側は、都労委の命令に従って稲葉さんらを職場に戻すことに加え、組合事務所や掲示板の設置、印刷物の配布など、最低限の組合活動を職場で認めるよう求めている。財団側の3月回答書では、中労委で再審査が始まっていることを理由に都労委命令の実施を先送りするとし、さらに組合活動については、次のように述べている。

「組合活動は当財団が委託を受けた資料館運営業務とは異なるものである上に、組合活動について当財団が管理できないことから、組合活動を当施設において認めることは相当でない」

 賃金は働き手の圧力なしには上がらない。団結権、団体交渉権、ストなどの団体行動権は、そのために、労働基本権として重視されている。そうした働き手の基本的な権利が、「委託契約」に書き込まれていないことで認められないとすれば、それは「公務委託」の職場で働く人たちにとって、深刻な問題だ。

 今年6月、組合側は厚労省に質問状を出した。厚労省は、管理運営者である財団側に対して労働組合活動を制限する指導を行なっているのか、また、組合活動を認めるかどうかの権限は厚労省と委託団体のどちらが持っているのかを問うたものだった。

 憲法で保障されている組合活動を、委託されていないことを理由に排除できるのか。その答えは近く判明する。

問われる厚労省の責任

 こうして「雇用責任の真空地帯」になったかに見える同館では、20年3月の日本財団から笹川保健財団への移行期に、奇妙な事態も起きている。

 日本財団の委託契約終了にともなって雇用契約も終了とされることになった稲葉さんが、退職の二日前、館内に展示していた私物の古銭を引き取った。その行動が防犯カメラで記録され、映像をもとに、稲葉さんに説明を求めることもなく、財団側は東村山署に「窃盗」として被害届を出した。

 こうした組合員に対する監視記録は、笹川保健財団に引き継がれ、委託先変更後の20年4月になってからも更新されていたことが、同年9月、判明している。

 都労委は、こうした一連の事実をもとに、日本財団の下での労組設立や組合活動に関わった組合員が、笹川保健財団の下で不採用となった点を、不当労働行為と認定した。これについても財団側は、中労委への再審査申立書などで、日本財団と笹川保健財団は独立した団体であり、組合活動と不採用は関係がないと反論している。

 だが、問題が起きた時、委託先を変えればなかったことになるような仕組みが一般化すれば、働き手の労働権は危うい。

 取材に対し、財団側も厚労省も「中労委で審査中なのでコメントは控える」と話している。

 公務委託をめぐっては、自治体でも問題が相次いでいる。大阪・守口市では学童保育を委託された大手民間企業に組合員の指導員らが雇止めされ、職場復帰などを求めて提訴した大阪地裁で昨年、勝利和解を得た。

 公務委託を雇用や公共サービスの劣化装置とさせないために、厚労省をはじめとする行政の管理責任が問われている。その回復へ向け、中労委の判断が、注目される。

(『週刊金曜日』2023年7月21日号)

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