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【宇都宮健児の風速計】 税金は金持ちから取れ

『税金は金持ちから取れ』という本が「金曜日」から出版されている。

 著者の武田知弘さんは、ノンキャリア職員として大蔵省(現財務省)に勤務した経験の持ち主であり、具体的資料を交えて税金についてわかりやすく解説している。

 折しも、八月一〇日、消費税率を二〇一四年四月に八%、二〇一五年一〇月に一〇%に引き上げる「社会保障と税一体改革関連法」が成立してしまった。

 貧困と格差が拡大し、社会保障費が膨らむ中で、安定した社会保障の財源を確保するということが、消費税増税の理由となっている。

 しかしながら、貧困や格差の解消をめざすのであれば、富裕層に対する課税を強化し、社会保障を通じて富の再分配を行なうことが求められているはずである。

 わが国では一九八九年に三%の消費税が導入され、九七年には消費税率が三%から五%に引き上げられている。そして、これらの直後にはいずれも法人税と所得税が引き下げられている。

 武田さんの試算によると、二〇一〇年の国税収入は三七・四兆円であるが、一九八八年レベルの法人税率・所得税率に戻せば、概算でも六〇兆円以上の税収が見込まれ、これに現在の消費税収入を合わせれば、約七〇兆円の税収となるということである。

 下げた法人税・所得税の税率を一九八八年レベルに戻せば、消費税を引き上げる必要などまったくないのである。

 また、日本には個人金融資産が約一四〇〇兆円あり、不動産などと合わせれば、約八〇〇〇兆円の資産があると推測されている。これに一%の富裕税を課せば、概算でも約八〇兆円の税収となる。資産の少ない人(一億円以下程度)の課税を免除するとしても、少なくとも二〇兆円以上になるという。

 武田さんによれば、金持ちというのは、税金に関して非常によく勉強しており、政治家に多額の献金を行なう一方で減税の働きかけをしてきているので、高額所得者や資産家は減税され続け、平均層以下の給与所得者ばかりが増税され続けてきているということである。

 私が貧困問題の講演を行なうときは、最近では必ず武田さんの本を紹介するとともに、私たちも税金について勉強して、財界・政治家・官僚・マスコミなどにだまされないようにしよう、と呼びかけている。

(9月7日号)

福島原発告訴団の思い(7)最終回 地脇聖孝さん

7回にわたる連載も、今週号でついに最終回。本欄では、あえて刑事告訴を決意した福島県民たちのさまざまな「思い」を紹介してきた。今年3月の福島原発告訴団結成時に目標として掲げたのは「1000人の告訴人を集める」ことだった。6月2日現在、告訴人の数はすでに1000人を超え、今も増え続けている。本欄で取り上げた福島県内各地の「声」は、告訴状に添えられる「陳述書」へと姿を変え、来週6月11日、福島地検に提出される。

〈品位と責任感の欠如が事故を招いた〉 福島県西郷村在住 地脇聖孝さん(41歳)

 私は団体職員をしています。避難させられた人や、避難せずとも自主的に農業や自営業をやめざるを得なかった人たちに比べれば、生活を保障されています。しかし、それでもなお、私が告訴の決意をしたのは、事故以来1日たりとも忘れることなく、今日もなお続いている凄まじい精神的苦しみを知っていただきたいからです。

 福島原発事故が起きるまで、一度も精神科の門をくぐったことのない私が、事故以降は常に不安に怯え、睡眠薬の手放せない毎日が続いています。事故以降、精神的安定や安息を得たことは片時もありません。

 私が不安を抱えている原因は、事故が起きたことそのものよりも、原子力関係者の事故後の対応にあります。事故が収束しないことや、正確な情報を公表せず、真実を隠そうとする原子力関係者の不誠実な態度に対する怒りと不信こそ、不安の源泉です。

 学者たちは「放射線よりストレスのほうが身体に悪い」と繰り返します。しかしそのストレスも、事故がなければ発生しなかったものであり、原発事故と「不誠実な人々」が原因です。

 原子力そのものの持つ危険性もさることながら、科学技術に関わるすべての人たちの品位と責任感の欠如こそが、この事故を招いたと私は考えます。過去すべての企業犯罪や事故と同様、どんなに安全なシステム・制度・装置が作られたとしても、それを運用する学者や関係者がこの水準では、次の事故は避けられません。

 私は、何の罪もない子どもたちをはじめとする次の世代のために、加害者らに罪を意識させ、この社会から失われてしまった誠実さや責任感といった人間性を取り戻すことを、残りの人生の仕事にしたいと思います。

 高い職業倫理を持つ検察官各位に、ぜひともこの「仕事」を後押ししていただけるよう望みます。

(まとめ・明石昇二郎〈ルポライター〉、6月8日号)

福島原発告訴団の思い(6) 古川眞智子さん

〈告訴は悲劇を繰り返さぬための「けじめ」〉 福島県いわき市在住 古川眞智子さん(60歳)

 私たち夫婦は14年前、いわき市の山奥に家を建て、山を開墾し、無農薬有機農法で畑を作り、果樹を植え、沢から水を引いてワサビを栽培し、伐採した木にキノコを植菌し、薪ストーブで暖を取るという生活を謳歌していた。

 家で飼っている2匹の犬たちも、自由に野山を駆け回り、畑を荒らす猪を追い払ってくれた。私たちへの手土産とばかりに、モグラやネズミを狩ってくることもあった。私たちは、そんな平穏で幸せな日々を過ごしていた。

 だが、原発事故ひとつで、そのすべてが台無しにされた。家の東側は竹林で、北と西側は杉林。除染のしようがない。犬たちにまで、凄まじいばかりの被曝をさせてしまっている。私がライフワークにしていた自然観察の案内人「もりの案内人」の活動も、ひどい放射能汚染のためにできなくなった。

 事故から半年間は、毎日涙がこぼれて仕方なかった。体調も芳しくなく、今も口内炎を繰り返している。あの日以来、心の休まる日は一日たりともない。大きな地震が来て、福島第一原発の4号機が崩壊する夢を何度も見た。

 でも、これだけの被害を引き起こしていながら、なぜ誰も刑事責任を問われていないのだろう。このまま原発事故が風化してしまえば、この国は第二、第三のフクシマの悲劇を繰り返すに違いない。私たちの刑事告訴は、決してそうはさせないための「けじめ」である。

(まとめ・明石昇二郎〈ルポライター〉、6月1日号)

福島原発告訴団の思い(5) 渡辺ミヨ子さん

〈「核の恐怖」は覚えていたのに……〉 福島県田村市在住 渡辺ミヨ子さん(70歳)

 私が小学生の時、原子爆弾が落とされた広島の映画を二度見ました。

 爆弾が落とされた場所にいたわけではない人たちまで、髪の毛が抜けたり、体にさまざまな異変が起こったり……。被爆者が苦しむ様子を描いた映画を見て、子ども心にも恐怖に怯えたことを、今でもはっきり覚えています。

 私は1942年に旧・船引町(現・田村市)で生まれました。戦後は貧しかったものの、豊かな自然の中で健康に生きてこられたと思っています。

 嫁ぎ先の旧・都路村(現・田村市)では、原発ができると皆、原発に働きにいくようになりました。そして「核の平和利用」「地域経済の発展」「安心、安全」という美名のもと、次々と原発がつくられていったのです。私は、そんな「地域経済の発展」に身を任せていました。福島県内に原発反対運動をしている人がいることさえ、知りませんでした。そして福島第一原発事故は起きたのです。

 私たちの世代を育んでくれた「うつくしま福島」の豊かな自然は、広島や長崎の人たちが見舞われたのと同じ放射能に汚染されてしまいました。「核の恐怖」を覚えていたはずなのに、うわべの「経済の豊かさ」に目も心も奪われていたのかもしれません。

 そんな私は今、この福島の地で成長していく子どもたちのために、一体何を残してあげることができるのかを、必死に考えています。

(まとめ・明石昇二郎〈ルポライター〉、5月25日号)

福島原発告訴団の思い(4) 片岡輝美さん

〈思いを「告訴状」と「陳述書」に〉 会津若松市在住 片岡輝美さん(50歳)

 昨年3月15日、会津若松市から三重県鈴鹿市の義弟宅に、末息子や甥、姪を連れて一時避難しました。翌16日、会津若松市の教育委員会と、息子が卒業したばかりの中学校に電話を入れ、懇願したんです。

「お願いですから、屋内退避、または休校にしてください」

 しかし、返答は次のようなものでした。「片岡さんの気持ちはよく分かりますが、そのようにするだけの証拠がありません」

 この頃、教育委員会には、私と同じ気持ちの保護者から数多くの電話があったと、後に知りました。

 原発事故前の会津若松市の空間放射線量は毎時0.06マイクロシーベルト。しかし、3月15日の夜から16日の未明にかけては最大で毎時2.57マイクロシーベルトもの放射線が観測されていました。この事実が同市の市政だよりに掲載されたのは3カ月後の7月のこと。もはや「証拠がありません」とは言わせません。

 この告訴は、原発事故によって私の大切な日常が壊された悲しみ、悔しさから、一歩前に踏み出すためのものです。

「このくらいの生活ができるなら、告訴しなくても……」

 と、歩みを止めた時、それは原子力ムラに丸め込まれたことを意味するのだと、自分に言い聞かせています。

 この思いを「告訴状」と「陳述書」という言葉に変えていく作業を、原発から100キロメートルの会津の地で始めています。

(まとめ・明石昇二郎〈ルポライター〉、5月18日号)

【田中優子の風速計】 猿の惑星を作ろう

 原発稼働の是非を問う住民投票を行なうための条例案が、東京都議会に提出される可能性が出てきた。必要な数の署名が集まる見通しになったからだ。そこで二月一〇日の知事会見で出た石原慎太郎の「サル」発言が俄然注目を浴びている。「そんなもん条例作れるわけないでしょ。作るつもりもないよね」から始まって、「原発に反対するのはサルと同じだ……これは結局人間の進歩というのを認めないまま、人間がサルに戻る事です」と。この……の間では、ストーカー殺人の事例を挙げて意味不明の事を言い、つまり「人間はセンチメントであってはいけない」と主張しているようなのだが、論理が破綻していて要約できない。

 このサル発言に対し「俺たちはサルじゃない」という反発もある。しかし私はサルで結構。「抜群にセンチメント(情緒豊か)な猿の惑星を作ろうぜ!」と呼びかけたい。ところでサルの件は石原の言葉ではない。この人は、責任はそちらに行くように他人の言葉を利用してコメントする人なのだ。今度は吉本隆明が利用された。

『週刊新潮』二〇一二年一月五・一二日号に出たインタビューで、要約すると「文明の発達とは失敗と再挑戦の繰り返し」「我々が今すべきは原発を止めることではなく完璧に近いほどの放射線防御策を講じること」という意味のことを吉本隆明は言った。その中で、脱原発は「人間が猿から別れて発達し今日まで行なってきた営みを否定すること」というサル発言が出てき、これが石原の気に入ったようだ。これで脱原発を主張する人は全員サル、ということになった。めでたい。「猿の革命」はもうすぐだ。

 しかし年をとるとはこういうことなのかと、私はそちらが怖くなった。覚え込んだいくつかの言葉、たとえば「科学」「進歩」「文明」に固執しそれを繰り返すのは、思考力が無くなっているからだ。起こった事態に面と向かい新しい対応を模索する、という頭脳の弾力が無い。「バカの一つ覚え」とはこのことである。昔のことは覚えているが最近のことは忘れる、という高齢者の病も疑われる。

 原発賛成派は、新しい現実を受け容れられず発想の転換ができない立派な「人間」である。今回のサル事件は、還暦を迎えた私への、そういう年の取り方をするな、という警告と受け取った。せっかく還暦なのだから、サルまで戻ることにする。

(3月2日号)

【中島岳志の風速計】 浅田真央のリアリティ

 東日本大震災から一年がたとうとしている。私が震災を思う時、いつも想起するのは死者の存在だ。私たちは、大切な人の死を喪失と捉える。確かに「その人」の姿は見えない。触れることもできない。しかし、喪失は同時に、死者となった他者との出会い直しなのではないか。

 私は、二年ほど前、大切な友人を亡くした。彼は編集者だった。いろいろなことを話し、掛け替えのない思い出を共有した。彼がいなければ、現在の私は存在しない。

 そんな友人が亡くなった。それからだ。私が原稿を書いているとき、斜め後ろに、彼の気配を感じる。私の主観として、死者となった彼が傍に実在しているのだ。

 特に彼のまなざしが気になるのが、原稿を書き飛ばしている時だ。締め切りに追われ、「まあ、このぐらいでいいだろう」と思いながら書いていると、彼の目線を感じる。一時の言葉にならない会話が始まる。

 私は、彼の存在を通じて、自己と対峙する。そして、原稿を書き直す。彼が生きているとき、こんなことはなかった。しかし、死者となった彼は、私の傍にいる。気づけばそこにいる。そして、私が誤魔化して生きないように、そっと声をかけてくる。

 私は、死んだ彼と出会い直したのだ。私の生を死者となった彼が後押しする。

 最近、とても共感する言葉を耳にした。浅田真央さんのインタビューだ。彼女は母を亡くした。その直後の全日本選手権で優勝した彼女は、「お母さんになんと報告しますか?」と問われ、「一番近くにいる感じがしたので、何も報告しなくても分かってくれると思います」と答えた。

 これは本当の実感が伴った言葉だと思う。彼女にとって、死者となった母はいつも近くに存在する。だから、あえて報告する意味がわからない。

 浅田さんは、予定していたエッセイ本の出版を中止した。〈「ママ、ほんとうにありがとう」何度、ありがとうと言っても足りません〉という宣伝コピーに反発したという。彼女にとって、これほど実感から遠い言葉はなかったに違いない。

 死者と共に生きる浅田さんの素朴な言葉と毅然とした姿は、被災地に届いているはずだ。見えない死者と生きる人々にとって、彼女のリアリティは自らのリアリティと直結する。

 3・11を傍らの死者と共に迎えたい。

(2月24日号)

【宇都宮健児の風速計】 危険な秘密保全法制定の動き

 二〇一一年八月八日、「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」は、秘密保全法制を早急に整備すべきである旨の報告書を発表した。この報告書を受けて政府の情報保全に関する検討委員会は、今年の通常国会に秘密保全法案を提出する準備を進めてきている。

 政府が検討している秘密保全法は、国民の知る権利や報道の自由・取材の自由を侵害するなど、憲法上の諸原理と真正面から衝突するものである。

 秘密保全法を検討するきっかけとなったのは、尖閣諸島沖中国漁船衝突映像の流出問題であるが、この映像流出は国家秘密の流出と言うべき事案とはとても言えないものである。

 秘密保全法では、規制の鍵となる「特別秘密」の概念が曖昧かつ広範であり、本来国民が知るべき情報が国から隠されてしまう懸念がきわめて大きい。また罰則規定に、このような曖昧な概念が用いられることは、処罰範囲を不明確かつ広範にするものであり、罪刑法定主義等の刑事法上の基本原理と矛盾抵触するおそれが大である。

 禁止行為として、漏洩行為の独立教唆、扇動行為、共謀行為や、「特定取得行為」と称する秘密探知行為の独立教唆、扇動行為、共謀行為を処罰しようとしており、このままでは単純な取材行為すら処罰対象となりかねないものである。

 このような法律が制定されると、取材および報道に対する萎縮効果がきわめて大きく、国の行政機関、独立行政法人、地方公共団体などを取材しようとするジャーナリストの取材の自由・報道の自由を不当に制限することになりかねない。

 今から二七年前の一九八五年、当時の中曽根政権下でスパイ防止に名を借りた「国家秘密法案」が国会に提出されたことがあったが、このときはこの法案が国民の知る権利と民主主義をないがしろにする法案であると世論から大きな批判を受け、反対運動の高まりによって結局廃案となった。今回の秘密保全法案は国家秘密法案の再来と言えるものである。

 沖縄密約事件、原発事故情報隠し、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件などに見る政府の対応からすると、政府が今すぐ着手すべきなのは秘密保全法制の整備ではなく、情報公開の徹底である。

(2月17日号)

【石坂啓の風速計】 ある選考委員の退任

 賞をもらうどころか仕事をほめられることもほとんどない生活をしているが、以前に一度だけ、ある漫画賞の候補に上がっているが受賞する意思はあるかと打診をされたことがある。

 横着にも返事をするより先に、その賞の審査員は誰か、これまでの受賞者に誰がいるかを尋ねた覚えがある。不遜なのは承知の上です。おゆるしください。でも自分が尊敬するどころか「サイテーだなァ」と思うような人たちに、審査されたり同列だと思われたりするの、イヤじゃありませんか。

 とまあもともとひねくれてはいるから、こんど自分が審査する側の仕事をさせてもらうときには、できるだけ謙虚な気もちで努めようとしてはきた。漫画だったり作文だったりシナリオだったりテレビ番組だったり、作品に接する機会が増えたのはうれしかったが、採点をするときにはだからいつもビクビクものだ。私なんかが審査員でスミマセン、どうか「石坂に俺の才能がわかってたまるか」くらいに思っていてくださいね、――と。

 あらゆる賞には背景がある。純粋に人を応援するものではあるのだろうけど、主催する側にはさまざまな意図があって当然だ。審査員を選んだ時点で意味あいはかわるし、数字におきかえて判定できる性質のものと違って、絵だの文字だのといった作品はそもそもジャッジがむつかしい。

 石原慎太郎さんが芥川賞の選考委員をされていたことを私は知らなかった。「バカみたいな作品ばっかり」と放言していたこと、まあこの方がある日突然謙虚な発言をされたら驚いたはずだから、らしいと言えばらしいんだけど、周囲の人々がさぞ頭を抱えていらっしゃるんじゃないかと審査光景が想像できた。

 権威のある賞で権威のある先生がドッカリと居座っている光景。若手の感性からすっかりズレているのに自覚もなく、過去の自慢をする光景。主催側から彼らに審査員「辞任」のお願いをすることが、もはやできないという光景。そういう現状を少なからず私も見てきたからである。

 口に出して言うかどうかはさておき、賞を「もらっといてやる」という気持ちでいるのは作家として大いに正しい。そして今回は選挙に専念いただくべく委員の一人に退場願えて、出版部数も大増刷できた主催側に対してこそが、「おめでとう」だ。

(2月3日号)

【本多勝一の風速計】 侵略で“発展”した国は今……

 来年は合州国の大統領選挙があります。他国の大統領だの首相だの以上に注目されるのは、いうまでもなく世界諸国の中でも(今のところ)最も影響力があるからですが、合州国がそうなったのは歴史上では比較的“最近”のことと言えるでしょう。ジョージ=ワシントンが初代大統領に就任した一七八九年から、今年でまだほんの二二二年なのですから。

 でも、その「ほんの二二二年間」に、合州国は何をしてきたか。初代大統領ワシントンがまずやったことは、当時まだ大西洋岸ぞいの東部平地が主たる領域だった独立前の合州国から、アパラチア山脈を越えて先住民族諸国(マイアミ・ショーニー・モヒカン・デラウェアなど)を侵略する“討伐”戦争でした。それは一八九〇年の「ウンデッドニーの虐殺」まで約一〇〇年間つづいて、合州国の版図は太平洋岸に達します。

 しかし侵略はそのまま東へと続いて八年後のハワイ併合(一八九八年=明治31)、フィリピンの大虐殺(一九〇一年=明治34)、沖縄本島での全住民の三分の一(一五万六〇〇〇人)殺害と、東京大空襲や広島・長崎への原爆による無差別大虐殺(一九四五年=昭和20)。その数年後(一九五〇年=昭和25)から朝鮮半島で行なわれた大戦争で、直接間接に五〇〇万人近い朝鮮人が殺されます。

 けれども朝鮮戦争は、合州国にとって初めて「勝てなかった」インディアン戦争でした。その停戦から一〇年とたたぬうちに、ケネディ大統領によるベトナム介入です。これで合州国は、建国以来初めて敗戦を喫するに至り、一九七五年(昭和50)のサイゴン陥落と惨めな米軍脱出・敗走に到ります。(現役の新聞記者だった私にとって、ベトナム解放戦線従軍やサイゴン陥落取材は実に幸せな仕事となりました。)

 そして今。オバマ大統領が再選を狙う来年の大統領選まで、あと一年です。今月六日の『朝日新聞』朝刊は「2012米国大統領選 沈みゆく社会」と題して、伊藤宏・望月洋嗣・田中光の三記者による「夢が見えぬ格差の国」を報告しています。

 要するにアメリカ合州国の近現代史は、暴力と搾取による侵略で“発展”してきたものの、ベトナム敗戦(侵略失敗)を機に侵略による“発展”ができなくなった結果として、今の「沈みゆく社会」があるのではありませんか。

(11月25日号)