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選挙で生まれたぺルー初の女性大統領、ケイコ・フジモリ氏就任 国民の融和推進を
伊高浩昭・ジャーナリスト|2026年9月18日3:58PM
ペルー独立記念日の7月28日、日系3世のケイコ・フジモリ大統領(51歳)が誕生する。
ケイコの父は熊本県系移民2世の故アルベルト・フジモリ元大統領(任期1990~2000年、24年9月死去)。父娘2代の日系大統領出現は世界初。元国会議員(06~11年)で最大政党FP(人民勢力)党首のケイコは4度目の挑戦で最高指導者の座を射止めた。チリの故サルバドール・アジェンデ大統領や、ブラジルのルイス=イナシオ・ルーラ=ダシルヴァ大統領も「4度目の正直」だった。

この国の女性大統領は2人目だが、選挙で選ばれた例としては初めて。だが、そこに至る道程は険しく遠かった。11年、16年、21年の3度出馬、いずれも決選に進出しながら惜敗した。今回も6月7日の決選で対立候補の左翼JP(共にペルーのために)党首、ロベルト・サンチェス元貿易観光相(57歳)につけた得票率差は0・27ポイント(4万9641票)、正に薄氷を踏むような超辛勝だった。原因は、2000年の父大統領失脚後にペルーとラテンアメリカ(ラ米)に蔓延し、今日まで続く「反フジモリ主義」という頑迷なイデオロギーの壁が立ちはだかっていたこと。それをようやくかわしたのだ。
支持率・反対率調査で有権者の5割を超えていた同主義(ケイコ敵視)は、4月12日の第1回投票から決選の間に10ポイント弱減って40%に近づいた。一方、「サンチェス嫌い」は50%手前まで増幅。ここにペルーの政治評論家らは、ケイコが勝機をつかんだと捉えていた。この一種の「逆転現象」が起きた理由を考えよう。
依然重い反フジモリ主義
第一は、ウマーラ左翼政権が登場した11年から現在までの15年間、統治機構が弱体化し、経済政策が揺れ動き経済成長が鈍化、犯罪が激増したこと。政権に就けないケイコは自党FPを基に多数派工作した〝国会からの施政〟により政界一の実力者にのし上がり、過去10年間に大統領8人のすげ替えに関与した。強権でゲリラを制圧し新自由主義でインフレを鎮めた父親勝りの辣腕の娘に、有権者は政経両面と治安の立て直しを託したのだ。
第二は相手候補の政策。サンチェスは国の経済介入、外資規制などを打ち出し社会主義的方向に進むための新憲法制定を公約。不評で公約を軟化させたが遅すぎた。陣営内に1980~90年代初めにかけ殺戮作戦を展開した地下結社センデロ・ルミノソ(SL=輝く道)の残党地下組織に近い極左がいることも有権者を警戒させた。そんな「敵失」がケイコを助けた。
第三は、1月の米軍侵攻によるベネズエラの米保護領化後、トランプ政権にラ米20カ国の半数がなびいて右翼反共同盟「米州の盾」を結成し、数少ない左翼専横諸国が地盤沈下したこと。この右旋回の荒波がペルーにも押し寄せ、ケイコに幸いした。ケイコも、8月7日に就任するコロンビアの極右新大統領アベラルド・デラエスプリエージャ(47歳)も「米州の盾」加盟を確約している。
ケイコは、この国随一の「職業政治家」として大統領政庁の主になる。だが父政権下での民主制度蹂躙、人道犯罪、腐敗、陰謀などに起因する反フジモリ主義の詰まったリュックサックは肩に依然重い。「勝者総取り」主義が醸す専横政治への誘惑に屈せず、真っ二つに割れた国民の融和に全力で取り組むべきだろう。(敬称略)
(『週刊金曜日』2026年7月17日号)
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