高市首相が就任後初出席した厳戒下の沖縄全戦没者追悼式を振り返る
下地毅・ジャーナリスト|2026年7月29日4:32PM
沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎えた。高市早苗首相が就任後初めて来県し出席した沖縄全戦没者追悼式を点描する。

黎明之塔と「海行かば」
午前4時50分 沖縄戦最後の激戦地・糸満市摩文仁にある平和祈念公園は暗闇の中にある。
薄明となったころ、牛島満・日本軍司令官らをまつる「黎明之塔」への沖縄の陸上自衛隊による集団参拝は5年連続でないことがほぼ確定した。そこに、日の丸の旗を掲げた約40人の集団が来た。「海行かば」を歌い、男性が「気を付けーっ! 英霊に対し! 奉り! 拝礼」と号令をかけた。
この光景を見ていた在日朝鮮人2世の女性(64歳)は「怖い」とつぶやいた。
「海行かば」を泣きながら歌う人たちの日本兵への弔意に偽りはないだろう。ただし、日本軍が沖縄で朝鮮で何をしたのかという視点が欠けている。
過剰警備と平和の礎
午前7時 公園の中央口から警察車両が続々と入ってくる。機動隊員が公園の内外で「荷物の中身を見せてください」と求めている。口調は高圧的ではない。しかし断ることを決して許さない。応じるまで包囲を解かない。
追悼式の会場と平和の礎とは規制線で区切られている。遺族は炎天下、頻繁に足止めをくらい遠回りを強いられた。琉球大学准教授の謝花直美さんは「誰のための式典か。高市首相のためのものではないはずだ」と指摘した。
宜野湾市の鳥越佐代子さん(83歳)は、祖父・照屋唯良さんの名前が刻まれた礎の前で三線を弾き沖縄民謡「平和の願い」を歌った。
「音楽を奏でられるのは平和があるからですよね。でも完璧な平和は沖縄に来ていない。米軍基地の爆音で穏やかでいられない。御霊もそうだと思います」
午前10時14分 仲宗根栄久さん(88歳)が公園に着いた。沖縄戦で4歳の妹と42歳の父親を失い、自身も日本軍に壕から追い出された経験を持つ。「戦後生まれの政治家しかいないことが怖い」。そう言って追悼式場に向かった。
追悼式と日本国憲法
午前11時50分 追悼式が始まった。玉城デニー知事は「平和宣言」で宜野湾市の米軍普天間飛行場の一日も早い返還など「過重な基地負担の軽減」を訴えた。「日本国憲法にも国民の念願とうたわれている恒久の平和と、その過程としての核廃絶をめざすことは、空虚な理想論などではなく取り組むべき責務」とも語った。
改憲と非核三原則見直しが持論の高市首相は、「在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小に取り組む」と述べた。
前日の22日、陸自は展開中の日米共同訓練でオスプレイを米軍普天間飛行場に初めて着陸させ、米軍も在沖海兵隊が「台湾有事」に使う新兵器の沖縄配備を公表した。高市首相の真意は、式典後に報道陣に語った「南西地域はわが国防衛の最前線」「在日米軍は無くてはならない存在」にある。
高市首相のあいさつが始まると、数人の参列者が「沖縄を戦場にするな」と声をあげた。拍手が広がったが、会場の外に追い出された。そのひとり赤嶺和伸さん(72歳)は普天間飛行場の近くに住んでいる。「ミサイルを買うお金があれば子どもたちの学習環境に回せばいいと思ったからです」と抗議の理由を語った。
(『週刊金曜日』2026年7月3日号)
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