米軍基地は偏在し米兵の事件・事故は続く 沖縄「復帰」54年の現在地
下地毅・ジャーナリスト|2026年6月10日7:54PM
沖縄は5月15日、1972年5月15日(以下5・15)の「復帰」から54年を迎えた。同日から数日間、県内各地で開かれた集会で最大規模は毎年定例の県民大会で、今年は北谷町に約2000人が集まり、玉城デニー知事も登壇した。これに私は背を向け、報道機関の姿がない小さな集会を回った。

沖縄国際大学名誉教授の照屋寛之さんは高校生の時、米軍基地は5・15できれいさっぱり無くなると信じていた。「みごとに裏切られた」と16日の集会で嘆いた。
沖国大名誉教授の石原昌家さんは、5・15その日の記憶がまったく無い。「熱望していた日本復帰の中身に失望したからだろう」と17日の集会で打ち明けた。
15日の那覇市・牧志公園「『5・15復帰』を問う」、16日の浦添市「脱植民地化沖縄集会」、17日の那覇市「今こそしまんちゅの団結を!」(午後)と「琉球・沖縄―日本民衆交流会」(夕刻)の参加者は、どれも多くて50人だった。「復帰」後も米軍基地は偏在し、米兵による事件・事故が続く。自衛隊の「南西シフト」で島々の軍事要塞化も進んでいる。取材した前記四つの小集会は「基地のない島」が今なお実現していないことへの失望と怒りでいっぱいだった。
那覇市の与儀公園は、日本政府が復帰記念式典を開いた同じ日に、「裏切られた復帰」に抗議する人々が県民大会を開いたところだ。ここで集会があった17日は与那国・石垣・宮古の各島での日米共同演習が始まった日でもあった。「復帰」後初めて米軍が上陸訓練する宮古島からの緊急報告が、スピーカーを通して会場に響いた。
宮古島の楚南有香子さんは「島を戦場にすることを前提とした訓練を目の当たりにして悔しい以上に不安が大きい」と語った。
石垣島の上原正光さんは、「本島」は「離島」の不安を共有しているのかという苛立ちを滲ませて「ひとりでも多くの人に島々に注目してほしい」と訴えた。
緊迫した声に、集会を主催した「命どぅ宝!琉球の自己決定権の会」の下地厚さんは「私も石垣出身です」と問わず語りに話し、「『復帰』から54年。何ら変わらない現状をどうやって打開していくのか」とつぶやいた。
「琉球国独立論」も
四つの小集会では「日米両政府がひどすぎるから」といった消極的動機によるものも含めて、琉球国独立論もよく語られた。
「琉球の自己決定権の会」の与那嶺義雄さんは、16日と17日の集会をはしごして「私たちはうちなーんちゅ(琉球・沖縄人)であると自覚し、自己決定権で団結すれば乗り越えられる」と呼びかけた。
貿易で栄えた琉球国は1609年の薩摩による侵略と1879年の明治政府による併合で半ば植民地と化し、沖縄戦後は米軍占領下に捨てられた。平和憲法のある日本を「祖国」「母国」と仰いだが、「復帰」後も米軍は居座り自衛隊は増強されるばかり。ヤマト(日本)にはもう頼らない――。与那嶺さんはそんなことを語った。
沖縄戦と戦後の米軍占領について、天皇の責任を問う声も目立った。牧志公園の集会を呼びかけた川越弘さんは「天皇は沖縄に来て慰霊はしても、罪を悔い改める謝罪はしていない」と語った。
公園のまわりで右翼が「日本軍の住民虐殺は捏造」「日本から出ていけ」と叫んでいた。
(『週刊金曜日』2026年6月5日号)
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