〈国家って……〉崔善愛
崔善愛・『週刊金曜日』編集委員|2025年12月25日5:41PM

私は震えた。高市早苗内閣の出現、その「外国人政策」にかつてのトラウマがよみがえる。
数年前、最寄り駅構内の警察署掲示板に「不審なアジア系外国人を見かけたら通報してください」とあり、立ちすくんだ。「外国人」は常に取り締まる対象という警察の目線が市民の目線へと広がることに怯え、いてもたってもいられなくなった。
外国人、外国人というが、国家、国籍、人種への意識や距離感は多種多様だ。一つにくくるなど他者が決められるものではない。この距離感こそがそれぞれの思想であり、個人的な経験や侵略戦争など国策への怒り、あるいは愛国心へのまなざしに、それぞれの感性と選択の上に積み上げられた生き様が映し出される。
同じ在日コリアンであっても、朝鮮半島への思いには濃淡がある。私はといえば、民族意識や国家、国籍を、自分と一体化できないという思いが強い。それは国家に守られたことなど一度もない、という感覚からきている。
日本には数知れぬ外国ルーツの人がいる。ソフトバンクグループの孫正義氏や、現在、空前の大ヒットといわれる映画『国宝』の李相日監督など、ルーツを隠さず活躍している有名人も多い一方で、多くの在日外国人がルーツを隠して日本の中で生きている。その理由を考えてほしい。
小野田紀美「外国人との秩序ある共生社会推進担当」大臣は日米のルーツを持ち、日本国籍だそうだ。「外国ルーツを持つ人」だからと、ひとくくりにはできない。彼女が担う「外国人政策」において、すべての人にあるはずの基本的人権を重んじる姿勢があるのか、注視したい。
かつてのフランス革命を経て「国民国家」が形づくられたとき、誰を「国民」とするのか、その「選別」の過程にあった思想は、ひとつの国家にひとつの言語、ひとつの民族という「幻想」だった。その無理難題を強いた結果、多様な民族の言語、方言までもが抹消された。
日本で生まれても「帰化」せず、韓国籍を維持する私のような、国にからめとられない者は、たとえば社会保険料の支払いが遅れた、「君が代」強制に反対したなどという理由で、永住資格が取り消され国外へ追放されることもあり得る。実際、指紋押捺拒否しただけで26歳のとき、再入国不許可処分を受け、事実上の「国外追放処分」を受けた。
私のまわりには思いやりのある人たちがいるのに、国家はなぜこんなにも冷たいのだろう。
(『週刊金曜日』2025年11月21日号)
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