〈何かを選ぶこと〉想田和弘
想田和弘・『週刊金曜日』編集委員|2025年12月24日5:34PM

ドイツのライプツィヒ国際ドキュメンタリー・アニメーション映画祭に、審査員として参加した。今年で第68回。世界で最も古いドキュメンタリー映画祭である。今年の初め、同映画祭のディレクター、クリストフ・テルヘヒテ氏から審査員を頼まれたとき、二つ返事で快諾した。
誰の人生にも「恩人」と呼べる人は何人かいるだろう。クリストフは僕にとって、大切な友人であると同時に、間違いなく恩人の一人である。
僕の長編デビュー作『選挙』(2007年)が完成した際、僕は勇んで、世界各地の映画祭に応募した。無名の若者による自主制作作品を広めるには、まずは映画祭で評判を呼ばねばならないからだ。ところが、応募した約20の映画祭からは、無惨にもことごとく落とされた。持てる力のすべてを注いで作った作品だが、誰も面白いとは思わないのだ、自分には才能がないのだ、映画の道はこれで潔く諦めよう。そう、僕は思いつめた。
しかし、捨てる神あれば、拾う神あり。絶望しかけたとき、ひょいっと『選挙』を拾ってくれたのが、ベルリン国際映画祭フォーラム部門である。そして当時のフォーラム部門の責任者を務めていたのが、クリストフなのだ。
『選挙』がベルリンで上映されると、世界中の映画祭から上映依頼が舞い込んだ。日本での劇場公開や、世界200カ国近くでのテレビ放映も決まった。ベルリン映画祭のおかげで、『選挙』は突然、世界の注目作となり、僕は映画界にデビューできた。クリストフがいなければ、僕はいま映画作家をしていなかったであろう。
ライプツィヒで一緒に食事をしながら、感謝の気持ちを込めて、そう、クリストフに言った。すると彼は少し複雑な表情で、こう、つぶやいた。
「そういう話を聞くと荷が重くなるね。僕らの選択によって、埋没してしまった才能が、いったいどれだけあるのだろう」
少し意外な反応だったが、彼らしいといえば彼らしい。クリストフには、自分が発掘しそこねたかもしれぬ才能のことが気になるらしい。
実際、何かを選ぶことは、何かを捨てることだ。作品を選ぶ側には、選ばれる側が想像もせぬジレンマがある。今回審査員を務めたコンペ部門では、僕を含め5人の審査員で協議して、4作品に賞を授与した。しかしライプツィヒを去りながら、繰り返し切なく思い出されたのは、力作なのに賞から漏れてしまった作品と映画作家のことだった。
(『週刊金曜日』2025年11月14日号)
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