映画『宝島』大友啓史監督に聞く 「右でも左でもない新たな概念生むヒントに」
聞き手・鈴木淳一(ライター)|2025年10月17日5:03PM

戦後沖縄を舞台に戦果アギヤーと呼ばれる若者たちを描き、直木賞を受賞した真藤順丈原作の『宝島』が映画化。3時間を超える長尺、圧倒的な熱量で沖縄が米国だった時代を描いた大友啓史監督(59歳)に映画を撮った動機、そして沖縄への思いなどを聞いた。
――映画化のきっかけは演出を担当したNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」の頃にさかのぼるとお聞きしたのですが。
「ちゅらさん」で描いたのは、癒やしの島としての沖縄でした。でもその裏で、それだけじゃないよなという思いも抱いていました。優しさと背中合わせの沖縄人の強さに、いつしか気づいたんですよね。特に現地の方々に基地問題を含む沖縄の戦後の話を聞くにつれ思いは深まり、いつか戦後の沖縄を作品化できればとチャンスをうかがっていました。そして出会ったのがこの原作です。
――登場人物のエネルギーに後押しされたとか。
原作を読んで、初めて知った事実がかなりありました。米軍基地から盗んだ物資を市民に分け与えていた「戦果アギヤー」についても同様です。私の頃は、学校の現代史で沖縄の戦後について教わるのはほんの数行。ましてや絶対的な権力を持つ米国民政府統治下の沖縄のことは、想像すらできないわけです。本土では「自由」や「権利」は与えられるものですが、沖縄では勝ち取るべきものだった。そういう登場人物の熱量、諦めずに主張し続ける姿に、本土の経済的繁栄の恩恵を受けた1人として、絶対にこの小説を映像化しなければという思いが強まりました。
制作では、安易な正義感を振りかざさない、米国イコール悪というような、わかりやすい二元論に陥らないように気をつけました。撮影前のリサーチでは、実際の戦果アギヤーを知っている方からも話を伺いました。ある戦果アギヤーの方は、ご存命の時は戦果を誇っていたが、死の間際に「俺はしょせん盗人だ」と後悔していたと。でも、看取る方々が「そんなことはない、あなたのおかげで私も私の子どもも、きっと私の孫も生きられたんだ」と伝えたそうです。戦果アギヤーと呼ばれる方にも、簡単な善悪論では割り切れない思いがあったのでしょう。1970年のコザ暴動についても同様です。米軍基地に対するそれまでの不満が爆発したと言われていますが、一方で基地経済に依存していた方もいたわけです。そうしたニュアンスを逃さず、米軍基地に対し建前と本音を使わざるを得なかった沖縄の人たちの強さ、したたかさをいかに描いていくかを心がけました。
――その意気込みにもかかわらず、コロナ禍で2度も撮影が延期になりました。
延期になったことが功を奏した部分もありました。当初の脚本では〝怒り〟がモチーフになっていました。でもコロナ禍が収まり、さらにウクライナやガザの紛争の影響もあり〝怒り〟を前面に出すのは違うと思い始めたんです。やはり人間って、どこかで希望を持たないと生きていけないだろうし、戦後の沖縄の人たちだって同じ思いだったはずです。そこから脚本を全部書き直して、新たに希望というモチーフを取り入れました。
――キャストの演技も見どころです。
主なキャスティングは沖縄の俳優ではありません。本土の俳優が、沖縄の人たちの気持ちを演じることで理解していく、そのプロセスこそが重要だと思いました。先だって妻夫木さんは佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」(丸木位里・俊の共同制作)を見て感銘を受け、今でも思い出すと涙ぐんでしまうそうです。そうした役者がそろったからこそ、この作品は力を持つことができたと感じています。
――米軍機墜落事故の後、自らを鼓舞しデモに参加するヤマコ役の広瀬すずさんも印象的です。
沖縄の「自由」は勝ち取るものだった。まさにあのシーンがそうなんです。今の若者から見れば、デモは全く有効な手段じゃないかもしれない。だけど、あの時代の沖縄にはデモしかなかったわけです。自由や自治は自分たちで主張し守るべきものなのだという、沖縄の方々の歴史に裏打ちされた思いを込めた象徴的なシーンでもありますね。

――おそらく劇映画史上初めて正面から描く、約20分のコザ暴動のシーンについては。
一口に暴動と言っても、さまざまな立場の人たちがおり、秩序立った集団でもない。しかし、当時の沖縄の人たちの気持ちを代弁する重要なシーンでもある。高度成長期の日本から見捨てられた怒りや米軍統治への反発。そういった特定の対象に向けての意思表示ということでなく、あの時代の沖縄の人たちの心の中にある魂の叫びを可視化する。そのことを心がけました。
――実際の出来事とは知らない若い世代もいるのでは?
そこで、エンドロールに当時の写真を挿入し、史実だと感じられるようにしました。ただし、若い世代の歴史認識の浅さは、われわれ大人の責任でもあります。「リベラルの敗北」と言いますが、若い世代にとって「平和」や「人権」を唱える人たちは、同じ話を繰り返す古臭い人間に映っている。リベラルの概念はもっと普遍的なものだったはずです。それを上の世代が右や左にカテゴライズし狭いものにし、若い世代はシラけてしまうわけです。だから、この映画が若い世代にとって、新しい概念のようなものを生み出すヒントになってくれればと、切に願わずにはいられません。映画を撮り終わった後、NHK時代の初任地での上司の一言を思い出しました。ジャーナリストとしての基本姿勢は「声なき声を聞くことだ」と。この映画を作る延長上に、この言葉が知らぬうちに私を後押ししてくれていたんだと思いましたね。
(『週刊金曜日』2025年9月19日号)
定期購読はこちらをクリック







