核兵器使用を否定しない石破茂首相の限界
宮崎園子・フリーランス記者|2025年8月25日8:13PM
「私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました」
今年の広島原爆の日。広島市主催の平和記念式典で石破茂首相は「わたくし」と一人称の思いを前面に出した挨拶を行なった。加えて「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」という歌人・正田篠枝の歌を「万感の思いを持ってかみしめ」とひき、追悼の言葉を締め括った。

広島・長崎でそれぞれ原爆の日に開かれる式典での首相挨拶をめぐってはここ数年、両市で同じ文章を読み上げているのでは、前年のコピペでは、といった指摘が相次ぎ、形式的な内容に批判が上がっていた。読み飛ばしという失態も起きた。だが、自身初の「原爆の日」式典挨拶となった石破氏のそれには「核戦争のない世界」など独自の表現も織り交ぜられていた。新聞記者として初めて広島勤務になった2005年以降、広島を出入りしながら取材を続けてきた筆者が過去に聞いたどの首相挨拶よりも心に響く内容だった。SNSにも「感動した」「泣けた」といった肯定的評価が溢れた。
一方、同日午後に反核集会で会った日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表理事で被爆者の田中聰司さん(81歳)は筆者の声掛けに正反対の感想を寄せた。「私は、まったく評価しない」
田中さんは式典後に市内で開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」に参加し、石破氏と面会。後に確認すると、石破氏は「核共有」の考えについてこう発言していた。「核をどういう時に使ってどういう時に使わないかという意思決定をするにあたって、本当に何も参加しなくていいのかという問題が、私は中核だと思っております」
核兵器保有国だけが、核使用が問われる場面での意思決定にかかわれる現状はいかがなものか、日本も意思決定に参画すべきとの内容だ。核兵器使用を決して否定しない。日本被団協など被爆者団体の意見とは異なる考えだ。
本来の「核のタブー」とは
昨年12月に日本被団協がノーベル平和賞を受賞した際のノーベル委員会委員長のスピーチで使われて以来「核のタブー」という言葉はあちこちで多用されてきた。委員長の文脈では「核兵器は使ってはならないというタブー」だが、「核兵器は使用はおろか保有もタブーだ」が日本被団協の考えだ。日本被団協の代表委員3人がオスロでの授賞式後に面会した際、石破氏は核シェルターの意義を説いたと報じられた。広島・長崎に投下された原爆と比べものにならない破壊力がある現代の核兵器が不幸にも使われたとして、逃げ込んだ核シェルターからいつ出てこられると想定しているのか。式典で湯﨑英彦・広島県知事はこう訴えた。
「国破れて山河あり。かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。国守りて山河なし。もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます」
教師の骨の周りに子どもたちの頭の骨が集まる――。正田篠枝の「太き骨」の歌は、原子野の光景がいかに凄惨か、知らない私たちの想像力に問いかける。命を尊び、人間社会の持続を願う政治家ならば、この歌が何を訴えているのか、すっと理解できるはずだが。
(『週刊金曜日』2025年8月22日号)
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