追い詰められる女性たち
田中 優子|2023年5月5日7:00AM
『朝日新聞』が「追い詰められる女性たち」という連載をしている。その第3回は、小学生の頃に家庭内性暴力を受けた女性の話だった。公認心理師・臨床心理士の信田さよ子さんの言葉が衝撃的だった。
信田さんは、家族間の性暴力は珍しいことではなく、むしろ「まったく表面化しないことが最大の問題」で、「実態がもっとつまびらかになれば、常識的な日本の家族像がひっくり返る衝撃を社会に与えると思う」と述べている。
「常識的な家族像」は、他の回を読んでも次々と崩れていく。夫の暴力を舅姑に訴えると、自分も妻を殴ってきた、と返される。ついに逃げ出して子どもを育てながらひとり親の手当を受けようとすると、受けられない。収入があるというのだ。舅が税金逃れのために嫁である自分の口座を作り、給与を振り込み、しばらくしたら引き出すという不正を繰り返していたのだった。
女性は「道具」とみなされ、「家族」が政治による「自己責任」の押し付け場になっていることが、さまざまな事例でわかる。東京・新宿の歌舞伎町や大阪・道頓堀が、家出した少年少女のたまり場になっていることが報道されている。その理由の多くも、親の暴力や虐待だ。
こども庁が「子育てに対する家庭の役割を重視した名称にするのが望ましい」という与党からの意見で「こども家庭庁」に変更されたことはご存知の通り。政治家たちには「家族ユートピア」幻想があるのだろう。自民党憲法改正草案の骨格は、このもやのような幻想でできている。なるほど地に足のついた少子化対策は出てこないはずだ。
女性を食い物にする宗教団体や、女性と子どもを道具扱いする家族から個人を救い出すことこそ、憲法に則った日本国の政治ではないのか。女性と子どもを家族に閉じ込める発想と、難民を送り返す法案を作り出した発想とは、同じ価値観でできている。邪魔者は社会の目障り、排除しろ、という価値観だ。「多様性」には程遠い。
多くの難民を個人として社会に受け入れ、日本語を学ぶことのできる環境と働く場所を準備すること、女性と子どもを暴力家族から救い出し、住まいと仕事を探す間だけでも保護すること。これらも少子化対策である。個人が守られる国、という信頼が、そこで子どもを産み育てる安心感につながるからである。
(『週刊金曜日』2023年4月28日号)