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西部邁の素顔

佐々木実|2018年3月10日7:00AM

「近代経済学者」の頃の話を聞くため西部邁氏に会ったのは2年前だった。故宇沢弘文との関係をたずねるためである。ふたりの思想的立場を知る人なら不思議がるかもしれないが、一時期(15年ほど)きわめて親密だったのである。

絶縁してから一度も会ってないので宇沢を語る適任者ではないと電話では渋っていたが、会うといろいろ語ってくれた。出会った日の会話、絶縁するきっかけも、明瞭に覚えていた。やはり忘れがたい人物だったようだ。

西部氏への追悼文のなかで、大塚英志氏の「西部邁の死と『工学化』する保守」(「ジセダイ」)が目に留まった。

大塚氏は、西部保守思想の根底には「工学化した世界」への嫌悪と懐疑があるという。工学化は端的にいえば「形式化と数量化」である。「世界の工学化」をもたらしたものこそ、「アメリカニズム」だと西部氏はみなしていた。

経済学者時代を知る者には説得力ある西部論だろう。代表作『ソシオ・エコノミックス』は「アメリカ経済学」を痛烈に批判する学術書だった。戦後のアメリカ経済学の特徴は「形式化と数量化」にある。その経済学は現在も世界に影響を与え続けている。

第2次世界大戦後、覇権国の移行に伴い経済学の中心も英国から米国に移った。戦後経済学を席巻したのはケインズの『一般理論』だが、英国のヒックスを経て、それはサミュエルソン、ハンセン、トービンら米国の経済学者によって「発展」させられた。

「形式化と数量化」を強力に推進したアメリカ経済学は、ケインズを新古典派経済学に包摂してしまった。ケインズ派のサミュエルソンとマネタリストのフリードマンは対立していたとされるが、「アメリカ経済学」の視点に立てば、両者は同じ陣営にいる。

 西部氏は保守思想家へと“変貌”する転換期、『経済倫理学序説』を著してケインズとソースティン・ヴェブレンを論じている。ふたりは「アメリカ経済学」に抹殺された経済学者である。

西部氏より11歳上の宇沢は、米国で新古典派の数理経済学者として世界的な評価を得た。ところが帰国してから一転、激しいアメリカ経済学批判を繰り広げ周囲を戸惑わせた。自らをヴェブレンに連なる経済学者と位置づけた宇沢は、ケインズの理論をアメリカ・ケインジアンと異なる形で定式化する研究に取り組んだ。

強烈な個性が日本では逆に誤解の種となり、宇沢は真の理解者を得ることができなかった。数少ない例外が西部氏である。

宇沢は西部氏の才能を見抜く一方、自分と似た資質をもつことにも気づいていた。半ば強制的に米国の大学に送りこうもうとして西部氏に拒絶されるという一幕もあった。

西部氏に、あなたが一番の宇沢理解者だったのではないかと問うと、否定はしなかった。それでも結局、“喧嘩別れ”を装い、西部氏のほうから袂を分かったのである。

「ぼくは経済学を捨てたけど、宇沢さんは最後まで捨てることができなかったんだよ」

そう語る西部氏は、思想家になる前の素顔に戻ったようだった。

(ささき みのる・ジャーナリスト。2018年2月23日号)

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