上関原発建設「見張り」テントの撤去作業に従事する祝島住民ら。(撮影/東条雅之)

「これまでありがとうございました!」

七月二三日一〇時、土嚢テントの撤去をおえて帰る島人をのせた「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の船に浜から声が投げかけられた。声の主は、中国電力(中電)の原発予定地・山口県上関町のこの田ノ浦に各地から集まった老若男女約三〇人。原発を拒み続ける祝島と連帯する人々でもある。

田ノ浦からは、約四キロメートル先に浮かぶ祝島の家並みがよく見える。ここに土嚢テントがあったのは、中電が海に灯浮標をおき「着工」とした〇九年一〇月初旬のあ と埋めたて作業台船が同年一二月末まで居座ったので、中電の動きを見張るため翌年一月か ら女性を 中心に祝島の人 が通いはじめたからだ。福島第一原発事故をうけて山口県と上関町の要請により中電が工事を一時中断するまで、同会メンバーの田ノ浦通いは続いた。二井関成山口県知事が六月二七日、一連の原発工事の初期段階たる海の埋め立てに関して、現状では来秋の免許期限以降は延長を認めない意向を表明。事実上、二九年にして埋め立て工事の進捗率〇%の原発計画は実現不可能な状況と言える。

「(上関原発は)必要不可欠で建設中止は考えていない」と松井三生中電副社長が六月二九日の株主総会で発言するなど、中電の姿勢は変わらない。しかし県内の十数自治体議会につづき、県議会も上関原発「凍結」の意見書を七月八日に可決。地元の理解があるとは言えなくなった。

「(中電の工事用)仮桟橋も撤去してもらいたい」。土嚢テントを撤去しつつ、島人の一人がそう語っていた。中電から再三要求されていた土嚢テント撤去を祝島側が実行したのは、原発工事のためではないことは明らか。工事がゴリ押しされる前の田ノ浦を取り戻し、海に生かされつつ生きる暮らしを引きつぐためである。

(山秋真・ライター、7月29日号)

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