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同性婚をめぐる改憲論の壮大な罠(藤田裕喜)

2017年2月10日5:35PM

結婚は「両性の合意のみ」に基づくと規定する24条を同性婚否定と捉える人もいる。しかし同性婚を禁じてはおらず、「両性」とは「両当事者」とする解釈もされている。つまり24条は同性婚の障害ではないが、そうみなすことで改憲へ導く思惑はないか。

「人権の問題で多様性の問題なので、政権与党の自民党がしっかりと取り組んで、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー、の略)の方々の理解を促進していって、一つひとつの課題を解決していくことが重要だと思っている」

これは稲田朋美衆議院議員(当時は自民党政調会長)の発言である。2016年5月、性的少数者を中心としたパレード(東京レインボープライド)のイベント会場で、記者団の取材に対してこう答えた。かねてから「伝統的な家族」や「家父長制」を信奉し、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる問題に対しても、保守的とみられていた人が、なぜこうした発言に至ったのか。この「変節」ぶりはにわかには信じがたい。

稲田議員の狙いとは?

この発言には前段がある。稲田議員は15年12月11日、ニュースサイト「ハフィントンポスト」に「LGBT:すべての人にチャンスが与えられる社会を」という文章を寄稿している。そこには「基本は、すべての人々が生まれながらに置かれた境遇や身体的状況によって差別されることがあってはならず、すべての人々にチャンスが与えられる社会を作らなければならないということ」などとあり、性的少数者であるかどうかを問わず、少なくない人びとが好意的に受け止めた。

ただ、本当に性的少数者をめぐる課題に取り組むべきと考えているのか、それとも新しい支持層を獲得したいとの思惑か、あるいはさらに別の狙いがあるのか、その真意は明らかではない。

一方、自民党は性的少数者の人権状況に関して、どう考えているのだろうか。16年5月、自民党は「性的指向・性自認の多様なあり方を受容する社会を目指すためのわが党の基本的な考え方」を発表。そして、翌6月には性的指向・性同一性(性自認)に関するパンフレットとQ&Aを公表し、「性的指向・性自認の多様なあり方をお互いに受け止め合う社会を目指す」として議員立法を含め、党としても性的少数者の課題に取り組むことを宣言した。

この中で同性婚については、現行憲法において婚姻が「両性の合意」により成立するものと定められており、「両性」は当然に「男性」と「女性」を意味することから同性婚は認められない、との立場を明らかにしている。また同性パートナーシップ制度についても慎重な検討を要するとしている。

「両性」とは「両当事者」だ

しかしながら、そもそも現行憲法において、同性婚の可能性は排除されていない。条文の「両性の合意」という文言は、明治期から続いた「家制度」を否定し、「戸主の同意」ではなく個人の自由な意思に基づいて婚姻ができることを意味する。「両性の合意」は「当事者間の合意」であり、この観点からは同性同士の婚姻についても、少なくとも禁止されておらず、その可能性も排除されていないと考えることができる。

憲法制定当時、確かに同性同士の婚姻については想定されていなかったかもしれないが、それは必ずしも同性婚ができないとの結論を導くものではない。また、憲法学においても、こうした理解がされており、現行憲法においても、同性婚が認められる余地・可能性は十分にある。

だが、同性婚を実現するためには、憲法の改正が必要であると主張する同性カップルもいる。ただし、憲法解釈をめぐる議論を踏まえた上での主張というよりは、たんに条文上、「両性」が「男性」「女性」を指すと考えられるため、同性婚が許容されていない、というある種の「誤解」とも言える根拠に基づく主張のように思われる。同性カップルの多数が共有する考え方だとも言えないだろう。

しかし注意しなければならないのは、こうした「当事者の声」があることだ。「当事者の声」は政治・政策を正当化するための常套手段であり、ポジティブにもネガティブにも利用される可能性を含んでいる点に注意しなければならない。すなわち、稲田議員の動きもあわせて考えるならば、「同性カップルの人たちが、同性婚のために憲法改正を望んでいる」と利用される可能性が浮上する。

現在の憲法改正をめぐる議論をみると、一度でも改正の実例を作っておきたいという改憲派の意図が見え隠れする。そしてその改憲の口実に同性婚が利用される可能性が出てきているのではないか。

同性婚実現のための憲法改正にあたって自民党がまとまるためのハードルは決して低くないと思われるものの、世界の趨勢や社会の変化を踏まえるならば、「自民党が同性婚を認めることなどありえない」などと高をくくってもいられない。可能性は低くとも、ないとは言い切れない。

「同性婚」が悪用される

そして、万が一でも、憲法改正のきっかけとして同性婚の容認が利用されるとすれば、それはもはや現行憲法の終わりの始まりを意味することになるだろう。なぜなら今日、性的少数者の権利拡大に資する(と思われる)制度の新設に対しては、反対の声を上げることすらも非常に困難で、議論する機会も十分にないからだ。

「あなたは同性婚に反対するのか(=性的少数者の権利拡大に反対するのか)」と「踏み絵」を迫られる事態を、すでに引き起こしつつある。同性婚を実現する必要性はあるかもしれないが、そもそも戸籍制度や婚姻制度が有している、さまざまな問題点を直視することなく、また、広くパートナーシップのあり方を含めて議論することなく、安易に賛成することなど到底できない。

そうした議論がないままに「踏み絵」を迫られるとしたら、さらなる社会の分断を深める結果をもたらすだけだろう。幾重にも仕組まれた、壮大な罠と言わざるを得ない。

また、万が一でも自民党による憲法改正が実現したら、その先に待っているのは「個人よりも国家を優先すべき」という社会であることは明白だ。自民党憲法改正草案の24条では家族のあり方に国が介入するだけでなく、前文や13条においても基本的人権が否定され、自由な個人の生き方が否定されている。「公共の利益」のため、国家のために個人が存在しているという社会が待っている。性的少数者が否定され、生きることすら許されない社会の姿も、容易に連想されるのではないか。

わずか70~80年ほど前、同性愛者は自分たちだけでは子孫を残せないことから「公共の利益」に資する存在ではないとして、ナチス・ドイツにより強制収容所に送られ虐殺された。現代に強制収容所は復活しないかもしれないが、決して極端な見方であるとは思わない。自らの生き方すら許されない社会であるならば、その存在自体が抹殺されているに等しい。だからこそ現行憲法を、いま守る意義がある。

同性婚の法制化が実現すれば性的少数者が尊重される社会になるとは限らない。むしろ重要なのは、依然として根強い誤解や偏見、差別に基づく、自死にも至るいじめや嫌がらせを、少しでもなくしていく地道な取り組みではないか。

「同性婚ぐらいできて当たり前だよね」などと、安易に憲法改正に賛成すると、取り返しのつかないことになりかねない。

*本稿の内容は筆者個人の見解であり、団体の見解ではありません

(ふじた ひろき・特定非営利活動法人レインボー・アクション代表理事・事務局長。1月27日号)

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