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「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示

植松青児|2020年11月5日6:12PM

注1 事故以外にも塵肺(大量の塵が肺に付着)などの疾病も労働者を苦しめた。

注2 大量の労働力を確保することが困難だった石炭産業では、1873年頃から囚人の使役を開始。過酷な労働の強制に対して囚人の脱走や暴動も頻発した。

注3 納屋制度は、納屋頭が下請けとして石炭会社に労働者を供給し、労働者が納屋頭に雇用されるという間接雇用の制度を指す。納屋頭による中間搾取・暴力的支配が横行した。20世紀に入ると石炭会社が労働者の直接雇用制を導入していくが、階層による差別などは継続した。

注4 高島炭坑での過酷な労働者支配は1888年に雑誌『日本人』で告発ルポが発表され、社会問題となった。また三菱が経営を引き継いだ後の97年には労働者のストライキがあり、他にも多くの暴動が発生している。
端島炭坑についても「納屋には全体をとりしきる勘番がいて、巧妙な前貸制度と暴力によって『圧制』をしいていた。職種別の差別意識がもちこまれ、とくに坑内夫(採炭夫)は坑外夫(保安仮設)より一段低い存在として差別された」(端島炭坑で働いた高比良勝義氏の証言。NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫編『軍艦島の生活』123頁)など多くの証言がある。

注5 1889年に三井が三池炭鉱の経営を引き継いだ時点で、2144人の懲役囚が炭鉱労働に服役していた。三井は山県有朋内務大臣に囚人労働の継続を要請し、山県も了承した(『荒尾市史 通史編』992〜993頁、1039頁)。

注6 19世紀末に台風で深刻な被害を受けた与論島から多くの住民が移り住み、三池炭鉱の積出港である口之津港(後に三池港)で荷役労働を担った。24時間労働は当たり前で、ときには3日間連続で働かされたという(『荒尾市史 通史編』1067頁)。1920年代には約2000人の元島民が移り住んでいたとされる。

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