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シンドラーエレベーター事故から19年、遺族の願い実る 「安全の碑」区役所前に建立

河北詩春・フリージャーナリスト|2025年5月2日7:19PM

 安全を願うある遺族の思いが一つ実った。3月23日、快晴の空の下、東京・港区役所前に「安全の碑」が建った。正面玄関から十数メートルほどの植栽に囲まれた空間にあり、区職員や来庁者の視界に入りやすい。区に建立を掛け合ったのは、エレベーター事故被害者遺族と賛同者で組織する「赤とんぼの会」だった。エレベーターの扉が開いたまま上昇する「戸開走行事故」で息子の大輔さん(当時16歳)を亡くした市川正子さん(73歳)が、会を束ねる。正子さんは「碑の建立がゴールではなくスタート。16歳で亡くなった大輔の命を思い、これからも安全を訴え続けたい」と前を向く。

3月23日、東京・港区役所前での「安全の碑」除幕式で碑前に立つ市川正子さん(右)と清家愛区長。(撮影/河北詩春)

 2006年6月3日午後7時20分、事故は起きた。自宅マンションで高校2年生の大輔さんは上階へ向かうエレベーターに乗った。扉が開いて降りかけた時、突如昇降機が動き出す。体を挟まれた大輔さんは帰らぬ人となった。エレベーターのメーカー名から「シンドラーエレベーター事故」として、当時各メディアが報じた。事故発生から3年後に国土交通省と消費者庁が公表した事故調査報告書によると、原因はブレーキを作動するための部品が摩耗したことによるものだった。保守管理体制に瑕疵があり、正子さんは「今も助けられた命、防げた事故だと思っている」と振り返る。

 区は事故後、扉が開いたままでの走行を防ぐ「戸開走行保護装置」の設置を進めた。事故が起きた6月3日は「港区安全の日」として正子さんら遺族とともに安全について考える日に定めた。行政が安全について真剣に向き合うきっかけに、16歳の命があったことを忘れてはならない。

大輔さんの思い出の地に

 正子さんにとって「安全の碑」の建立は不可欠だった。区に訴えかけたのは6年ほど前から。新型コロナウイルス禍のため協議が中断しても諦めなかった。はじめ区側は「選挙期間に候補者のポスター看板を建てる場所ですから……」と、あまり目立たない場所を提案した。けれども、正子さんは頷けない。

 正面玄関前にこだわったのは、皆の目に触れるからという理由だけではなかった。眼前の緑地は、大輔さんが幼少期に走り回った場所。その向こう側には大輔さんが通った小中学校がある。「自分の命を生かしてくれ」。そう願っているであろう大輔さんの思いを汲むため、どうしてもそれらの光景が見える場所に建てたかった。最終的には、区側も応じた。

 碑文には、高校野球に励んでいた大輔さんが事故の1週間前、日誌に綴った言葉を刻んだ。「与えられた時間は、みな同じなのだから、その時間をいかに有意義に使うかだと思う。限られた一日という時間を、他人に優しく、自分に厳しくできるように、その一日が有意義であるように過ごして行きたい」。事故の教訓と安全を呼びかけ続ける正子さんの心にも刻まれている言葉だ。碑の除幕の際、正子さんは「大輔の命に寄り添い続けたみんなの思いが形になった」と微笑んだ。

 大輔さんが犠牲になって以降も全国各地でエレベーターの事故や故障が相次ぐ。今年2月27日には神戸市で、エレベーターの昇降空間内に転落したとみられる男性が死亡した。「次の事故を起こさないことが大輔の命を生かすこと。戸開走行保護装置の設置の徹底をはじめ、安全を守ることを訴え続けていきたい」。陽光で輝く碑を前に、正子さんは改めて決意した。

(『週刊金曜日』2025年4月4日号)

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