「人質司法」終わらせよう! 袴田ひで子さんら日本の刑事司法の改革訴える
竪場勝司・ライター|2025年5月2日5:40PM
裁判で無実を訴える人ほど長期の身体拘束を受ける「人質司法」を終わらせようと、大川原化工機事件などの被害者らが3月4日、東京の参議院議員会館で「人質司法サバイバー国会」と銘打ち集会を開いた。被害者らは「推定無罪」などの憲法や国際法の原則を踏みにじる人質司法の過酷な実態について語り、日本の刑事司法の改革を訴えた。

日本の人質司法は国際的にも批判を浴びてきた。集会は冤罪被害者支援団体「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」と人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が共同で進める「ひとごとじゃないよ!人質司法」プロジェクトが主催。約240人が参加した。
集会の冒頭、2024年10月に再審無罪判決が確定した袴田巖さんの姉ひで子さんと、袴田さんの弁護団事務局長の小川秀世弁護士が登壇。ひで子さんは「私たちは58年闘って、やっと無罪放免になりました。人質司法という言葉の通り、巖は人質にされて白状しました。痛めつけたり、拷問をしたりして白状させるんです。弟は拘置所から出てきて11年経ちますが、元の体には戻っていません。人質司法の改正のため、どうか力を貸してください」と訴えた。
小川弁護士は「身体拘束を利用して自白させるのが人質司法だ。事件当時、身体拘束期間中の取り調べに関する規制はまったくなかった。(巖さんに対しては)一日平均で12時間の取り調べ、長い時で16時間を超える日もあった。食事もトイレも取調室だった」などと過酷な実態を語った。
続いて「袴田事件から現在までをつなぐ」というテーマでトークセッションが行なわれた。巖さんの事件の再審開始を決定、釈放を当時裁判官として命じた村山浩昭弁護士は「袴田さんの例のように時間制限もなく取り調べができる時代は終わった」と提言。捜査機関の一番の目的は自白を求めることにあるとしたうえで「刑事訴訟法の解釈を通じて人質司法は完成形になっている。警察官も裁判官も『法律に従った仕事をやっているんだ』と思っている。ところがその実態が著しく人権を侵害するものだというところに目がいっていない」と指摘した。村山弁護士は現在、角川人質司法違憲訴訟弁護団の一員でもある。
拘置所での過酷な仕打ち
郵便不正事件で09年に逮捕、勾留された元厚生労働省事務次官の村木厚子さんは、当時を振り返り「検察官は真相解明をしてくれる人だと信じていたが、取り調べの最初に『僕の仕事はあなたの供述を変えさせることだ』と言われて絶望した」と証言。「参考人や共犯者と言われた人たちの半分ぐらいが『村木さんがやりました』という調書にサインしていた。プロとアマチュアが闘うと、そういうことになる。これをぜひみなさんに知ってほしい」と訴えた。
大川原化工機事件で330日を超える身柄拘束を受けた同社社長の大川原正明さんは、自身と共に逮捕された元専務の相嶋静夫さんが拘置所、留置場の待遇の悪さなどからがんを発病した件に言及。「発病してからも検察、裁判所は保釈を認めなかった。われわれが保釈されたとほぼ同時に相嶋さんは亡くなった。逮捕された3人は1年半の間、会社と連絡をつけることもできず、まったくひどい仕打ちだった」と振り返った。
KADOKAWA前会長の角川歴彦さんは東京五輪をめぐる汚職事件で一貫して無実を主張したが226日間拘束され「人質司法は憲法違反だ」として国家賠償請求訴訟を起こした。拘束が続く間に3度目の貧血を起こし、拘置所の医務官に「どうしたら出られるのか」と尋ねたところ、「角川さん、あなたは死なないとここを出られないんですよ」と言われた体験を語り「私の実感からすると60年の間に人質司法は巧妙化し、過酷になっている」と批判した。
集会の登壇者からは人質司法に関する制度的な改革要求として、取り調べの全部にわたる録音・録画による可視化、弁護人の取り調べ立ち会いを認めることなどが挙げられた。
(『週刊金曜日』2025年3月21日号)